(運転をしてくださったMさんのテープ起こし)
黒部での虹を見ながらの言葉。踏江さんと冨美江さんとみんなで言葉を織り上げて理解を深めました。
「自然と神との織りなしたところに湧き上がった秘密を知りたかったら、人間がそこに積極的に参加する。関わらせていただく。それが祝福になる。それを受け取れる。それぞれがあわさったところで秘密を知る。
だから、秘密を知りたかったら、祝福を受け取りたかったら、参加しなければだめだということ。」
(運転をしてくださったMさんのテープ起こし)
黒部での虹を見ながらの言葉。踏江さんと冨美江さんとみんなで言葉を織り上げて理解を深めました。
「自然と神との織りなしたところに湧き上がった秘密を知りたかったら、人間がそこに積極的に参加する。関わらせていただく。それが祝福になる。それを受け取れる。それぞれがあわさったところで秘密を知る。
だから、秘密を知りたかったら、祝福を受け取りたかったら、参加しなければだめだということ。」
八方池に行かなかったので時間ができ小谷方面栂池を目指して、白馬八方尾根の最期のロープウエイに乗る前にタクシーを頼み下山しました。これはホテルのフロントの方からのアドバイスでしたが、降りてみると大混雑しておりましたから、アドバイスに感謝でした。
今回は龍を強く感じ、水の循環と言うコンタクトも多いので、タクシーに乗り込み、白馬近郊で龍の伝説とか由来の土地とかありますかと聞いたならば、運転手さんお名前は寅男さんは、龍は自分の専門だ!と
大町龍神湖、たかせ、鬼無里(きなり)、さいりゅう、松本・・・とメモもかけない勢いでお話しくださいました。
寅男さんの話は勢いがあり、龍がうおーーと叫びながら天を駆けているイメージでした。寅男さんいくつものキーワードを伝えてくれていました。後からその点が繋がってくるのです。神のお使いかしらと頂いたキーワードを心に入れ次に向かいます。
ホテルからあっという間に栂池方向に曲がる交差点を・・・運転手Mさん「なんか違う~」と通過してしまい、次の交差点も通過してしまいました。
どこに向かうんだろうと目をつむり集中すると橋が観えます。
橋があるから、ここら辺で止まれない?と言ったら橋が目の前に現れ、ここだ!と車を降り、楠川大橋に向かいます。
途中、不思議な看板があります。
山村集落「青鬼」
まずは、橋の上でワークを行います。すべてがコンタクトで行います。
地場を上げるとか、何かの役割とかではありません。
私たちが、今この瞬間生きて自然と関わらせていただきそこに神が関わってくださる体験を与えられただけです。
その体験は、水の循環、命の循環を教えてくれます。
*岩岳からの流れを辿ると水は龍のごとく動き始め、私たちを飲み込みます。
そこに振動を与えるためにコンクリートで創られた橋の上でジャンプしたりして振動を起こし「共に遊ぶ」を体現します。
最初は橋が本当に揺れるし、水量は増してくるので怖くなりましたが、宇宙暴走族のような冨美江さんが眼をくるくると輝かせ、楽しーとはしゃいでいるので段々乗ってきました。
体は軽くなり、自然が色鮮やかに輝いています。
神も自然も人も共にそこで遊ぶ、まさにお祭りのようでした。
天を観るとキラキラと沢山のエネルギーが渦を巻いていました。
*
さあ、心も体も高揚して、青鬼集落に向かいます。
何だろう?何があるのだろうと!
看板を越えるとすぐに姫川第二ダがありました。突然現れたダムに魅せられましたが、青鬼村に車を進めます。
行けども行けども、山に入り込み、どんどん道も狭くなっていくではありませんか。
Mさん、きっと間違えた~~と不安がり、車を止めようとするのですが、狭い道では引き返すこともできません。対向車が来たらアウトです。
ドキドキしながら、「神様は止めていないから、大丈夫だよ!と言いながら山道を進みます。
突然です、突然開けて、家が見えてきました。それも、大きな古民家です。すべてが・・・
まるで夢の世界です。
(青鬼集落は文化財重要伝統的建造物群保存地区になっているのです。
そこでは日常の生活が営まれているので、写真は許可を取ってください。農作業などの日常生活を侵すような行動はお控えください。などの看板がありました。)
まず私の目に飛び込んできたのは、「キハダ」胃腸薬です。
28日朝から胃の調子が悪かったので、どこかで薬を買おうと想っていたので、天からのプレゼントとしか思えませんでした。
次に、それを作っている松倉さんにお話しを沢山伺っているうちに、この方は、仙人か神様か!?と想うようになり、つい、写真を撮っていいですかとおねだりしました。後で、あれはもしかしたら夢?ときっと想うだろうから、証拠写真を撮ろうと想ったのと、キハダを作っているお爺さんを紹介したいとおもい、ブログでお顔を乗せても良いと許可を頂きました。
松倉さんを囲んで
青鬼の由来 この山の向こうは鬼無里(きなり)と言い、鬼が悪さをして村人が嫌がり鬼を追い出した。この村は鬼は悪さをしないから、ここには鬼が鬼が住んでいる。神社も、青鬼神社だし。
タクシー運転手寅男さんが教えてくれた、キーワード<鬼無里(きなり)>がここで繋がりました。
「この目の前の道は戸隠や善光寺にも続く塩の道
『東山 塩の道 善光寺 上田街道』と言うんだ。伝えていかにゃあ誰も知らんようになるの~」
後で地図を観たら周りは鬼無里(きなり)の地名がついており、鬼がつくのはここだけ。
鬼は、蝦夷の事だろうか?と想いながらお話をきいていました。
松倉さん88歳
「キハダは7月しか取れない。来年なくなったらまたおいで。生きていたら作っているから。」
この言葉を聞き、石垣づくりの棚田を見て、ホテルに向かいました。
トイレを借りようとトイレの矢印があった集会所に入ると、素晴らしい古民家でした。懐かしくて木の香りをかぎ、寝そべって数分仮眠を取ります。
これも神様のプレゼントでした。疲れがスーッと消えました。
数分でした、さあ行け!!と聞こえ感謝と寄付をして、古民家を後にします。
濃い野外ワークは終わり、夜の部屋飲みワークが満天の星を見ながら夜更けまでつづきました。。。
翌日は、黒部ダムです。
つづく
22日から今日まで、半年ぶりの帰郷でした。
母の米寿。父は再来年満90歳。
聞いていない話を聞きたい、自分に出来る事を今したいと想い、帰郷しました。
米子鬼太郎空港から松江に向かう空港バスからの風景
中海に注ぐ光
出雲の国の光です。
柔らかいのに沁み込んでくる光
今日の帰りの風景を見てください。
スサノオノミコト
八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を
この歌のように、出雲は八雲たつ様が常の事で、コロコロと天候が変わります。
そして、気が満ちていました。
自分の探求のテーマの一つ
「神が創られた人の本質を知りたい」これはいつも思う事です。
感情や、記憶、考える力これらは神が与えた力だと想っています。
でも、その道具をどう使うかは、人に託されているのだろうと。
感情や、記憶、脳の使い方、思考癖。これらが与えられたものだとすると、人によって差が大きすぎるのですが、今の自分の能力も自分が決めて自分に与えたのだとすると、マイナスに想っていた自分の能力も、必要あっての事だと想います。
道具はいろいろあって当たり前です。
私の道具はどんな具合かとお話すると、固有名詞が正確に記憶に残りにくいのです。
名前は漢字がさかさまになったり、ご本人が話していた内容の地名と名前がごっちゃになったり、
どんなにお会いしても、人と名前が一致しない事が多いです。
これって、記憶力が無いという事になります。
しかし、映像の記憶はかなりしっかりしており、また、今回体験していない人の体験や人の過去世の記憶さえ整理されて残っています。
一般的な教育や社会での評価を基準にすると、自分の持っているものを活かすことはできなかったでしょうが、自分を活かしたい、生かされたいという願いによって、人生の道を歩むことができました。
様々な体験をするのに、自分の持っているすべての力があっていいのです。
もし、今、自分のこれがなきゃ良いのにと否定する何かがあるのなら、それこそ、いかせる能力です。
逆にこれがあるから生きてこれたと思う力は、少し意識する事を手放していいのです。
たとえば、努力する力が強く、我慢する力があったからここまで来れたと想うのならば、もう努力を意識しなくとも、我慢することを意識しなくとも、いつでも、ほどほどの努力も我慢もしていますので、我慢をやめ、努力をやめてみましょう。
努力し、我慢に長けている人は、やり過ぎると、自分を痛めつけ、人にも押し付けてしまいます。手ごたえを求めますので。
それをやめると想うだけで、丁度良い加減になります。
たとえば、落ち着きが無く、人の話が聞きにくいというならば、どう自分が動いてしまうのか?
言葉をどう認識しているのか?ご自分を観察してください。
落ち着きがないというのは、多分、何かに反応しているのだと想います。
察知能力が高いのではないでしょうか?
どんなことをどんな風に察知しているのか、言葉に変換して、認識してみてください。
人の気持ちを感じ取ってしまうとか
次に起きる事が次から次へと襲ってくる感じとか
自分の心臓の鼓動や、大地の震動や、風や雲の動きを強く感じてしまうとか
それらは、意識をそこに向け、感じているものに対して安心すると、命を強く感じられる豊かな人である自分に気づけます。
他の評価を自分に当てはめないでください。
自分を評価するのではなく、ただ、自分を優しく認めるだけで良いのです。
地球人から評価するという力が消えたのならば、人類の在り方は全く違ったものになるだろうと想います。
その第一歩を歩もうと想って、自分の辞書から評価と言う概念を無くす作業を始めました。
弥彦神社セミナーのつづき
弥彦神社の本殿右の奥に重要文化財の十柱神社で頂いたコンタクトとにより頂いたエネルルギー
利き手を伸ばし手のひらに太陽のエネルギーを頂き、逆の手をお社の下に繋げ、大地と人が創った文化を載せ、交互にエネルギーを拡大していきます。
徐々に自分自身が大きくなっていきました。
弥彦神社の神々に感謝し、海に向かいます。
海と弥彦山
天と地
右と左
大地の巨大なる一極のエネルギーを限界まで体感し、さらに対極のエネルギーを全身で受け取り、二極のエネルギーを天で合わせ、自分の中心軸を貫通させ、地に降ろす。
海岸で
ロープウェイ弥彦山に登る。下を観ると、谷が道のように観え、先ほど海と弥彦山のエネルギーを合わせていた、神が降り立った海岸と一直線に結ばれていた
弥彦山で、弥彦山のエネルギーと一体とならせて頂く。
コンタクト
生きを意識し死を感じ
この気流に乗る者たちは地を歩め
そこで繋げを忘れず
極端を味わう
そこで身は地に在り
魂は空に在り
そのギリギリ感を互いに観つめ
我を大きく広げる
奥の院でコンタクト
プレゼントが欲しかったならば、太陽に向け、手を差し出せばいい
一点がたくさん存在しているその一点に集中し、点が宇宙になった時、
他の点もそれぞれの宇宙となり、
宇宙が幾重にも重なり合っているのを体感するといい
その時初めて自分がいる世界が分かるだろう
ひっくり返すは
自分の固定概念をひっくり返す
満から欠くのではなく
満つる事は無いから
次から次へと有るとなる
満ちたと想う事は 慢心である
満ちて欠くなどは 神々の世界ではありえない
まして 人間界で それを持つとは 大きな勘違い
満ちる方向へとは 次から次へと足されていくのだ
だからこそ 大きくなるのに 限界は無い!!
足早にコンタクトだけお伝えしました。
翌日の馬高縄文館の今の展示も素晴らしく、何度訪れても新たな智慧を頂けると感動しました。
ぜひ一度は行ってみてください。
期待を裏切ることはありません。
あまりにも強すぎて、エネルギーあたりすることはありますが・・・・
フラフラになりながら楽しんで参加していただいた皆様に感謝し、お読みいただきました皆様に感謝です。
参加いただきました皆さんのブログを紹介いたします。
長井知子さんブログhttp://
参加者Sさんのブログ http://
通知