新潟に移住して7か月!

t昨年2018年10月に新潟に移住し丸7ケ月がたちました。

もっと長くいるような気もします。少しづつ新潟県県民なってきています。
この間に心療内科外部講師が本格化し、まだ生活も仕事もリズムがつかめないうちに、父と母が他界し、おおきな人生の転換真っただ中で、猪突猛進と突き進んでいる感じでいます。

自分が人生の筋書きを描いているというより、天からひらひらと舞い降りた筋書きを受け取った瞬間から物事が動き出し、状況が刻々と変わっていっているように感じています。
いつも意識しているのは、どんな状況も希望を見つけ、今を楽しむこと!やりきること!です。
ただそれだけですが、ありがたいな!と思う自分がとてもありがたいです。

今を楽しむといえば、ささえ愛よろずクリニックで波動絵の指導をさせていただいていますが、今年に入ってから参加者の作品が突然グレードアップしてきました。
毎回展覧会のように、パワーあふれる作品がおひとり2作3作と描かれるのです。
2019年は 地球のエネルギーも高まっている気がします。

高まっているからこそ、体も心もバランスが崩れやすいのですが、中心の思いがぶれなければジャンプもワープも変身もできる時代です。
どんな時も持ち続ける信念のようなものです。

ぜひとも、みなさん、自分自身を大いに楽しんでください。
したいしてください。

 

母の看取り

2月23日母が永眠しました。

亡くなる前日から39度の熱が1日続きそして。徐々に呼吸が浅くなり、息が途切れ始め、最期に大きく息を吸い向こう側に旅立ちました。

エネルギー全てを使い切り、生き切る姿を観せてもらいました。

その姿に感動し、精一杯生き切ると強く思い母に約束してお別れしたのです。

 

向こうに行く時のコンタクト

後は任せたよ!

 

今母を感じると、若くて穏やかで、フワリと広がったエネルギーになっておりますが、母だとわかります。穏やかに微笑みながら私がしていることを嬉しそうに観つめてくれます。生きていた時は苦しい事も多かったでしょうが、今感じる母のエネルギーは何のこだわりもなく、ただ穏やかな美しい母の存在感です。

今迄と違うのは、とても近くに母を感じる事です。

母の存在を感じながら、講座やセッションでチャネリングするのも楽しいです。生前は、私がしている事を否定はしないけれど、面白がる事もなく、距離を置いていましたが、亡くなるまえに光へ誘導したり、母が観ている世界を転写しながら言葉をかけていましたから、近くに感じるのだと思います。この時間もいずれ終わるでしょうから、今の感覚がありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

看取りこそチャネリング

母の危篤の知らせを受け、大至急で決算確定申告を昨日提出し、仕事の調整をして頂き、今米子空港から松江に向かうバスの中です。

少し体力を取り戻したようですが、母の命がある間に、もう少し母とのご縁に感謝し触れ合い語り会いたいと思います。

言葉を発することは出来ないでしょうが、こちらがキャッチして、魂の対話が出来ると思うと楽しみなのです。チャネリングで対話をするのです。

ありがとう、産んでくれて、育ててくれて!

 

幸せのゲートが開き、父は旅立った。

一昨日11月19日の夜、日付けが変わる頃女性の声が聞こえ、体が動き

「幸せのゲートを開く準備が出来た」の言葉の後、あまり記憶が無いけれど、天に向かって手を合わせ、両手を限界まで伸ばし体も限界まで伸ばしたようなきがする。

そのまま気持ちよく寝入ったので、あまり深く捉えていなかった。とても自然な流れだった。

翌朝、実家から電話が入り、父が朝6時に亡くなったと連絡が来た。

癌も、糖尿病も、肝炎も抱えていた父は、体調は常に悪く心穏やかでは無い日々を暮らしていたが、孫が病院に来てくれるのを楽しみにしていた。遠く離れている娘は、本当に会う時間が限られていたが、父の人生の話をたくさんの聞けたので、遺伝子の繋がりと、意識の繋がりは整えてもらったのだと思う。

悲しみよりも喜びの感覚を強く感じており、とてもありがたく、父とのお別れの瞬間は荘厳な何かを受け取れると予感して、新幹線、飛行機、タクシーを乗り継ぎ、黄泉の国奥出雲に向い、祖父とそっくりな顔になった父と再開した。

二人の姪っ子は、じいじはカッコ良かった!

優しくしてもらった。と嬉しい言葉をくれた。

良かったね、二人が居てくれてと、父に話しかけ、姪っ子達と、父の話に盛り上がる楽しい時間になった。

幸せのゲートが開かれると、生きている人々も、霊体存在も意識が変わりやすく、次元は現実に上がっていると実感した!

お父さんありがとう❗️

 

 

 

認知症になっても、もてなそうとする母

施設に入った母に逢いにやっと来れた。
実家から歩いて15分のところにある。

施設の中は、天井も高く全体がゆったりとした造りになっていた。
スタッフは担当チームが組まれていて、責任を持って生活のすべてを把握していてくれる。
総合病院と連携をとっていてくれて、本当にどのスタッフも暖かく声をかけてくれるので、どうしてこんなにも丁寧な対応をしてくれるのか聞いてみたら、「自分がしてほしいこと、自分の親にしてほしいことをしています。それをいつも全員が心がけています。」と話してくれた。働く方は厳しいこともあるだろうけれど、ありがたい。
母は穏やかな顔になっていた。
私の事もすぐに分かり、話は通じる。
椅子に座り食事をしてしばらくしてくると、目がうつろになって、段々話が通じなくなる。そして、ベットに戻り、すっと眠りにつく。
眠くてしょうがないという。

老いを見せてくれる。
自分の将来の姿を見せてくれる。
認知症になっても、それを否定されなければ、そう害ではない。
寝ていた母が突然起きて、「ご飯仕掛けてあるけんな、いろいろなもん仕掛けてあるけんな、大丈夫だぞ」と言う、「分かった、ありがとう」と答えると安心してまた眠った。
母は食の人で、いつも食卓を豊かにすることを考えて、みんなをもてなしてきた人だ。
作物を作り加工する。こんにゃくもイモから作り、奈良漬も瓜から作る。
沢山の創作料理を考案し、婦人会でみんなに教えてきた。

夢の中でもメニューは出来ているようだった。

夕食を私に食べさせようとしているのだ。

涙が出る。
いつも、人の事を思っている母は最期までそのまま変わらない。

母を母に選んだ自分を誇りに思えた。

大好き!!ありがとう!