出雲大社の神様はいつ行っても大きく包んで頂けます。
式年遷宮後は、今までとは違う新たなエネルギーとなっていました。
新しい60年の時代が始まるのですね。
免許を取って2年もペーパードライバーだった娘の練習も兼ねてレンタカーでお参りしました。
意外と度胸があり、安定した運転だったので、安心しました。
出雲大社の神様はいつ行っても大きく包んで頂けます。
式年遷宮後は、今までとは違う新たなエネルギーとなっていました。
新しい60年の時代が始まるのですね。
免許を取って2年もペーパードライバーだった娘の練習も兼ねてレンタカーでお参りしました。
意外と度胸があり、安定した運転だったので、安心しました。
「食の人」だった母は地元の婦人会で講師をするほど料理自慢でした。
奥出雲の郷土料理を調べていた大学の教授が参加された会合に、母が作った漬物とゆず餅をお出ししたのがご縁で、郷土料理をみんなに広めてくださいとお手紙を頂いた事を嬉しそうに話していました。ゆず餅を考案した母はお料理を研究しました。これは…と言うものもたくさんありましたが。
その母が高齢となり認知症が進み、料理をするのが「たいぎぃ(ダルい)わ…」と寝てばかりいるようになりました。時々お煮しめを作るのが精一杯らしいですが、今回は全く出来なかったようです。
もうおばあちゃんはダメだ~~と嘆きます。
人は皆老います。
未来の自分を観るようでした。
その姿は、綺麗に年老いていく自然な人に観えました。
おばあちゃん十分頑張ったよね、ありがとうと言いながら、歳だからいいんだよと伝えました。
良いかな・・・良いんだよ。
母はまた眠ります。
87歳の母の妹は今でも現役の食の人です。
その叔母のところで、たくさんの真心をいただきました。
82歳の叔母は親戚が集まっても、孫が友達を突然連れてきても、近所の人たちが訪れてもすぐにおもてなしができるように下ごしらえを怠りません。
先ずは、お茶を
そして、お昼ご飯
全てが美味しいのですが、お漬物皿のたくあんや、瓜の酒粕漬けは感動でした。そして、ドンコと昆布の佃煮は専門店のお味で、ますます味に磨きがかかる叔母に驚くばかりです。
作り方をちょっと教わり、真似事でも良いから受け継がなくてはいけないと思いました。真心を頂く時代から渡す時代へと私自身が変わらなくてはと強く思いました!
母も、叔母も、畑の土づくりをし、美味しい野菜を育て、そして、お料理します。
みんなに美味しいものを食べてもらいたいと願いを込めて一つひとつを作るんだよと叔母が話してくれました。
ちょっと前、味噌も、こんにゃくも、自家製でした。食するものはかなりが自家製でした。・・・・・
奥出雲も19日から大雪になり、娘は雪かき初体験が出来ました。
雪に埋もれた実家です。
そこで生活する事は大変ですが、40年ぶりに大寒の大雪を見てはしゃいでしまいました!
子供の頃の冬の生活で重要な事は、火を上手に使い、熱を逃がさない事でしたが、隙間風入り込む田舎屋では温かく過ごせる時間は夢の時間でした。寒さとの戦いでしたが、雪は天からのプレゼントと思っていました。雪が降ると全てが平らかになり、皆光り、真っさらの大地に自分の足跡をつける時のワクワク感は、みなさんご理解いただけると思います。
今回実家も、親戚の家も昔ながらの造りの家では底冷えし、娘は、ダウンコートをなかなか脱げずストーブにあたっていて、おニューのコートを焦がしてしまいました。