過去世も、今世も、どんどん膨らむ 感謝と喜び

昨日の続きです。

次の週のチャネラー養成講座基礎コースの野外ワークに参加した昨日と同じAさんのお話。
養成講座の野外セミナーは木と対話、地場を感じる、岩との対話、古代遺跡に行き土偶や土器をリーデイングします。今回は、地場を感じ木と対話するワークでした。

20140322133700002014032213400000

 

 

 

 

 

 

 

 

Aさん最初は元気で、木々と戯れていらしたのですが、「今の楽しいエネルギー場から、もっと深く細やかなエネルギー場に入ってみてください」とアドバイスしてから、木肌が気持ち悪く想えるようになり、そんな自分が嫌で耐えられないと言い始めました。

 

参加者全員木のエネルギーに添う体験ができたので、室内ワークに切り替えます。
Aさんの順番が来たとき、木肌が気持ち悪いと想う世界にもっと入ってもらうと、「自分自身の肌が気持ち悪い、どうしようもなく具合が悪くなってきました。」と言葉を出します。

 

読み込んでいると、肌はドロドロになり骨も溶けている感じです。
大やけどかも知れない、大きな病気かもしれない。・・・
隔離されているのを感じました。

 

本人は、気持ち悪さと絶望感・嫌悪感が起き、自分を直視できなくなって来たと言葉にしています。
夢も希望も無い、絶望だけの気持ちになり、体が動かなくなっていました。(本人談)

 

私が観たのは、顔、体中包帯で巻かれた大勢の患者さんの隔離病院の様子でした。

そのままでは、苦しいだけなので、何とかしようとアドバイスします。
固まっていたからだが少しずつ動き始め、Aさんは、自分の状態を仕方ないと諦めています。
絶望感は深くあります。

世間の人々から嫌がられ、迫害を受けています。
その悲しみは耐え難いのもでした。
家族も同じように迫害を受けていました。
その迫害に怒りを感じています。

その人生のその後を観るより、木の肌が気持ち悪いと感じた事と、深い絶望感と、自分が迫害を受けて、その迫害に対し怒っていた事との関係を読んでみます。

世間の見方に怒りを持った時、その世間の見方と同調することになり、醜いからこんなに迫害されるという想いが膨らんでいることに気づいてきました。

 

周りの患者さんも汚いとか醜いと想っていました。
自分の事は直視できません。(本人談)

 

だから、木肌のザラザラ感に醜さを感じ、ねじれに醜さを感じてしまい、嫌気がさし、吐き気までかんじたのでしょう。

 

それは神への冒涜です。木々の自然なねじれは醜さではありません。
人が火傷をし、ただれても、それは自然なこと。どんな状況で体に変化が起きてもそれは自然な事。
醜いという概念は自然界にはなく、人間が創った概念なのかもしれません。
傷ついていれば、猫や犬はなめて傷を癒そうとします。
けれども、人は観た目で判断し、違っている形を排除しようとします。

 

Aさんの話の戻しましょう。
Aさんは気づきました。
どんな状態でも生きているだけで感謝!だと気づきました。
自分の状態を認めても、周りの人は認めてくれないのだと。
それさえそれで良いのだと。
涙しながら、形は醜くても、自分の本質は醜くない。
いや、形も醜いのではなく、ただ、この状態だけだという事に気づいたのです。

 

どんな状況でも、生きているだけで感謝と気づいた時、喜びが溢れてきました。気持ち悪かった木が愛おしく、過去の変形していた自分の顔も輝いて観えたのでした。気持ち悪いと想っていた同じ病気の患者さんもイキイキと輝いて観えました。(本人談)

 

そう言えば、思い出しました。
Aさんが、木と対話していた時、ささくれが酷くなり、血が出始めていました。
体の記憶はどれだけの規模なのだろうと驚嘆します。
体だけではありません、人とは、知れば知るほど、膨張し、はるかかなたまで存在している神のように想えてきます。
意識だけが小さく固く狭い世界に閉じこもっていると。

 

ご本人に全文を確認もらい、感想を聞きました。

「2週にわたっての体験は、人生の根本が変わるほどの体験でした。ガラッと変わりました。変な言い方ですが、死に対しての感じも変わりました。私の人生、後悔が無くなった感じでしょうか・・・
どんな状態でも生きているだけで感謝だと心の奥から想えます。ありがとうございました。
そう言えば、ささくれが酷く、ザラザラだった手は綺麗になりました。」

 

今回のレポートは、Aさんの体験と変化を著わしました。
その体験に参加されたほかの参加者の一人一人にドラマは起きていました。
それぞれのドラマは死と言う幕が下りても続きます。

はるかかなたまで。

過去世

縄文式チャネラー養成講座アドバンスクラスはリーデングできる人たちの集まりです。
「今回の人生で完全に手放したいことを見つけ手放す事をしましょう!」と参加者に投げかけました。

 

参加者の一人
生きる事が楽になり、日常の生活、会社での仕事を楽しむことができるのに、小さなかけらのような形で残っている自分を小さくして被害者の感覚になる自分を、完全に手放したい!と希望しました。

被害者の気持ちに思いっきり入っていてもらう。

 

本人が観えてきた映像を頼りにもっとその世界に入ってもらいます。
私も含め、他の参加者も同じシーンを観ます。たりないところは補いながら。

 

最初は多くの被害者の一人だと想っていました。大量虐殺の。。
もっと細部を観察していくと、自分は加害者と分かってきました。

 

2013111520020000

ショックを受けています。
自分にとってありえない事だったから。
無気力が全身を襲い、脱力感と、吐き気を伴い、血の気が引いていきました。

 

 

強烈な自己否定と、抱えられない現実に対して、心が壊れそうになっています。
謝罪の心が巨大化し、自分は生きていては申し訳がないという気持ちになり、謝罪をすることで、犯した罪が変わるわけではないですが、何かに目を向けないとそこにいる事さえできない状態になっていました。

 

状況は、自ら望んで加害者になったわけではなく、戦争の中でその立場に立たされ、行ったのです。

その時の人生では、嫌な感覚が残り、懺悔しても拭い去れませんでした。

 

どう手放すかを模索します。
コンタクト
人間が持っている、どうしようもない「さが」
それを自分の中に観て、認め、手放すことを、支えながら行う。

 

個人に起きた事ですが、個人ではどうしようもない出来事でしたので、自分の考えを変えるより、人間が持っているものとして認め、もうこれを選ばないと言う事で、手放す作業をしました。
同時に参加者全員、自分の中にある同類のものを見つけ、認め、手放すと、言葉にしました。

 

体の不調は段々と収まり、顔に血の気が戻ってきましたので、ちょっとホッと一息です。

「起きたことは、起きただけ。」
今の自分は、ただただ「あるがまま」。そう言葉に出してみました。

 

気持ちが少しづつ落ち着きましたので、体のケアをします。確認のため、最初に願っていた、自分を小さくして被害者になる感覚を感じてもらいました。
ご本人が被害者感覚は残っていないと確認でき、良かったね~~と、参加者みんなで喜びました。
突然起きた緊張する過去世でしたが、今後、色々な出来事を今まで以上に深い感覚で捉える事ができるだろうと想います。
正しいとか間違っていると言うような単純な言葉ではなく、感じ考えること。自由な心で行動する事も、しやすくなると予感できました。

 

サポートさせていただき、私自身も生きる事への執念にも似た情熱を感じる事が出来、それさえ手放し、ただ、あるがままを体験できた事に心から感謝しました。

 

次の週、基礎講座にも参加した時、過去世第二弾が起きました。物事に対する考え方を根底から変える出来事でしたと、本人の感想でした。内容は後日発信します。

 

過去世

過去世のリーディングは不思議な映画を観ているようだ。

 

それが現実にあったかどうかは分からない。
実証できるのかも知れない。
その証拠を見つけるならば、、、

 

でもそんなことより、そこに生きて何をどう感じどんな選択をしたかを知ると、今の人生に繋がる奥深く眠っているものを引き出すことができるような気がする。

 

まあ、読み手として、自分自身の過去世を観るより、人の過去世を読ませていただいた方が数段楽しい。

 

秘密の花園に入り込み人生の道をたどっていくのだから。。。

 

まず、観えている映像のどこにご本人がいるのか?ご両親は?住んでいるところは?国は?

 

大体、赤ちゃんから始まる。

 

3歳・5歳・10歳・13歳・15歳もうこれだけでも顔つきから体型、心情もどんどん変化していく。

 

20歳ここまでに恋愛・病気・家族との葛藤・政情や自然災害による環境の変化などがおり込まれてくる。

 

25歳・27歳・30歳・・・・

 

結婚するまでのドラマ。しかし人生結婚してからがすさまじい。

 

35歳・40歳人生の流れは読めてくる。しかし、人生は想定外が必ず起きる。

 

45歳・47歳・50歳・・・最後を迎える。
決して穏やかな死だけではない。死にたくないと泣きわめきながら死を迎えることもある。
満足して旅立つこともある。
死後の言葉を引き出して、ご本人と対話すると、何かが動き始める。

 

若く死を迎えても、病気で亡くなっても、突然の事故でも、たとえ自殺でも、他殺でも、死の向こうは生の場からの価値とは別世界!

 

ある時神からのメッセージに、「生きているときは平等はない。魂の学び体験の場であるから。しかし、死は平等に、全ての人に訪れる!」とあった。

 

過去世を読んでいると、まさに、そうだと思う。

 

生きるとは大変なことです。

今も、過去も!

そして、生きるとは、奇跡の瞬間ですぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)