裏日光セミナー 滝尾古道から滝尾神社へ 

わっぽー野外セミナーで裏日光に行きます。

滝尾神社に向かう滝尾古道は、苔むした石回廊 聖なる胎内に入っていく感覚になります。

静けさの中で、地球の胎内に入り込み、そこから入ったことのない自分の世界に旅していきたいと想います。

日時:4月26日(土曜日)  日光駅 10時30分集合  日没前終了予定

 

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皆様のご参加をお待ちしております。
お申込みは、お電話または下記のコンタクトホームよりお願い申し上げます。
携帯:080-1301-4228 (踏江)

 

仔細は参加者にお伝えします。
基本的には、現地集合、現地解散です。

参加料金 10,000円

過去の裏日光レポートをご参照ください。
裏日光第1弾(わっぽーセミナー)

裏日光第2弾(わっぽーセミナー)

裏日光第3弾(わっぽーセミナー)

裏日光紹介ブログ

日光に行くつもりが、実は裏日光に導かれたわっぽーセミナー記③

滝尾神社はまるで城跡のような石段を登っていきます。見入ってしまい、携帯に収めることを忘れてしまいました。

先ほどの滝のすぐ上に位置します。

石段を昇って、視界が開けたと同時に、「わお~」と歓声が聞こえ自分たちも一緒に声を上げるていたのですが、右の写真の光があっていて全体白くなっているあたりが黄金に光っていました!
そう黄金です!
その向こうの鳥居が滝尾神社の鳥居になります。

 

 

滝尾神社概要: 二荒山神社の創建は天応2年(782)勝道上人が男体山頂に社殿を建立したのが始まりと伝えられています。延暦3年(784)に参拝が困難な事から麓に中宮祠を建立、弘仁11年(820)には空海が女峰山に滝尾権現を建立して遥拝所としました。日光二荒山神社の別宮として本宮、新宮(現在の二荒山神社) と共に日光三社権現の一つに数えられ信仰され隆盛します。古くから神仏混合しており明治時代初頭に発令された神仏分離令までは楼門に仁王像が安置されてい たそうです。境内には無念橋、酒の泉、子種石、縁結の笹、運試しの鳥居など史跡も多く霊地として信仰されていた名残が随所に見られ、本殿はじめ多くの社殿 が国指定重要文化財に指定されています。http://totitabi.ame-zaiku.com/nikkou/takiojinnjya.html

 

メンバーの一人が北野神社からお姫様歩きを始め、言動もそうなっていたのは、そういう事だったのですね!
今回は当時のお話はあまり聞かずに、歩みを進めました。
(二荒山神社から、先を急がされていましたので。何故なのだろう???)

 

 

もうすこし、滝尾神社を堪能!

 

 

神社正面の写真はありません。

お参りが精一杯!

お参りが終わりほっとしていたら、先程の姫様になっていたチャネラーがお能の様な舞いをはじめました。
感謝の奉納舞となりました。

 

 

何やら上も賑やかなご様子!

こんな時は、光が炸裂始めます。

 

  

撮影:鈴木しのぶ

 

 

 

滝尾神社にお別れを告げ、古道を戻り、二荒山方面に向かいます。

この三叉路まで、あっという間に着きました。

本当にあっという間に!

飛んだのかもしれません!若しくはワープしたのかも!!

とにかく二荒山神社から急げ急げと催促されていますので、何があるのやら、わくわくです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場で降りたコンタクト
強きものは 優しく
強きものは 他を抑圧せず おおらかで
強きものは 全てを受け入れる
弱きものは 強きものを脅威で抑圧し
弱きものは いつかは果てる
強きもののごとくあれ

 

強きもの、巨大杉、その根がこんなに絡み合い、これからもまだまだ共に成長していく。

百年後は夫婦杉になっているのかも!

そのエネルギーというか迫力は人の存在を払拭するほどのものでした。

この場が言う強き人とはどのような人なんだろうと思いを巡らしていたならば、目の前に看板があり、そこに修験道の開祖 役小角(えんのおづの) 超超能力の持ち主 と 弘法大師空海がここで修業したとあり、まさに本当の強き人を教えて貰った。

強きもののごときあれ!
そうなりたい、そうするには?
今できる事は、今この瞬間を生ききることだけ、とお答えしました。

 

自然は自然界の時間で成長し、又破壊を受け入れ、そして生まれ変わっていきます。
日光が世界遺産に登録されこれからもこの場が保護され、訪れた私達に多くを与えてくれる事に感謝いたします。

 

史跡指定 [編集]

1998年(平成10年)5月14日、世界遺産登録推薦にさきがけて国の史跡に指定された。指定名は「日光山内」、管理団体は日光市である。従来、建造物については国宝重要文化財に指定され、保護が図られている山内地区であったが、面的な保護策は講じられていなかった。そこで、文化庁、栃木県教育委員会、専門家、学識経験者が協議し、二社一寺をはじめとする土地所有者、土地占有者ならびに関係者等の協力を得て日光山内50.8ヘクタールが文化財保護法にもとづく史跡指定を受けた。

世界遺産登録 [編集]

1999年12月2日モロッコマラケシュで開催されたユネスコ世界遺産委員会で文化遺産として登録された。登録名は「日光の社寺」である。

 

 

 

二荒山神社が先を急がしてくれたのは意味がありました。
私達が訪れた時、入社時間ぎりぎりだったのです。そんな事も知らず、参拝し出てきた時には扉がもう半分くらいしまっていました。それを観て、時間だったと知り、守られ与えられている事を実感しました。

 

 

ありがとうございます

 

 

 

 

 

初めて野外セミナーに参加した方の感想

「ありがとうございました。とても楽しくて、神様と戯れるにはこうやるものなんだなぁと、とても勉強になりました。もっと神様と遊ぶぞ~と思います」

 

日光に行くつもりが、実は裏日光に導かれたわっぽーセミナー記②

駅で打ち合わせをしていた時、大型タクシーのおじさんが勧誘で来たのだけれども、これがまた神の計らいか、「私達が行きたいのは滝尾神社で神橋から歩いていきたいんです!」と言ったら、「あ~、裏日光だな!じゃ、ここから歩いた方が良い!」とまるで、神様からの指示のようでした。
思わず、はいわかりましたとお礼を言い、出発です。

相変わらず歩いている途中で入る準備の為のワークか体操のようなポーズをやらされ、神橋に到着(お天気は曇り、小雨がかすかにちらついていた)

 

 

己の中の水を想いなさい
聖水を頂くことで あなたの内なる水が変わる
聖なる水の力を大きくし あなたは水の粒子となる
己を内から清めなさい(禊をする)
その後 川面に立ち 心改め 川を渡るのです
一歩一歩 どんどん己を溶かし 川の中央では 完全に川と一体となるのです
次に徐々に人としての身体に戻り 
対岸についた時には 新たな身体になり 古道に向かいなさい

 

 

それぞれが大谷川で、水になり龍になり粒子になりやっとたどり着いた対岸で、水の神様に心から感謝し一礼

稲荷川に沿って古道へと向かう。足が重くなるたびに、意識を変え身体を変えるコツを教わる!

 

 

 

 

 

このお山は外山と言い、山が左手をひっぱりるとチャネラー富美江さんが言い始め、みんなで左手は外山、右手は神橋方向、両手を広げエネルギーに身を任せていると身体が熱くなり力みなぎって来る。
そのようすを老夫婦がみて、同じポーズをとり、????と立ち去る。
それも違和感を感じない場でした。
頂上に神社があったので思わず撮りましたが、映っていませんね???なぜ?

 

家康公墓所を横から拝見

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝道上人を祀る霊廟

http://miyokame.blog82.fc2.com/blog-entry-187.html

 

勝道上人の眠る開山堂である事を知ったのは帰ってからです。だた、足を止められ、導かれたところに身を置くだけで、想ってもいなかったプレゼントを頂けました。

その頃から、光が微かに降りはじめました!

撮影:鈴木しのぶ

 

ここから始まる古道は、まるで、異次元へ入り込み、ここは高天原かと見違うばかりの光の世界の始まりです。

 

 

 

 

 

そして写真では撮りきれなかった、観た事の無い美しさ!!

コケが神々しく光る北野神社!!

 

 

 

 

 

 

言葉がありません!

 

そして、

一人ひとり、自然と一体となった祈りの場から、巨石から、大杉から、沢山の言葉と力を頂く旅です!

 

 

 

突然差し込んだ光が、あまりに美しく、カメラを向けると、そんな世界!

肉眼でも、光は尋常ではありませんでした!

 

 

 

 

お気づきでしょう!

同じ場所です。

 

早く滝尾神社に詣でなさい!

光のショウを見せよう!!

 

その言葉に押され歩みを進めました。参加者全員興奮状態でした!

 

滝尾神社の滝です。

青く光っていました。

青龍でしょうか。

 

左の白く見えるのは、水の流れが凍っているのです。

 

 

 

 

眩い光は滝のすぐ下で頂きました。

 

 

 

 

この三点の撮影:鈴木しのぶ

 

 

 

金剛界曼荼羅のようです!

神業としか思えません!!

 

 

 

 

 

神はこんなにも存在を表してくれています!

それを受け取れず、大地を汚し、ただただ自分の生きる事のみに終始している己を見つめるだけです。

神の大いなる光は、確実にそこに存在しています!!

 

これから滝尾神社に参拝です。

明日アップいたします。

日光に行くつもりが、実は裏日光に導かれたわっぽーセミナー記①

前の日、日光の地図を眺めていると、浮き上がってくるのは東照宮よりも滝尾神社!
やっと、日光が見え始めて来る!

小雨の中出発。電車内でやり取りがあった後、いざ、滝尾神社へ!

そうそう電車内での神とのやり取り

Q 遠隔療法について・・・・自分は遠隔療法はエネルギーに歪みや雑念が入るようで、行わないけれども、どうなんでしょうか?

人の為のみの方法はチリと消える
自然が多くを伝え 与えている
自然の在り方を 学ぶが良い

Q植物や動物はテレパシィが使えるようなんですが・・・人のテレパシィはどうなんでしょう?

高度な意識に立てば、自然となる!!
全てのものが持っている力である!

そんな事より図の意味を知りなさい!!

こんな汚い図になりませたが、三点を繋げ三角とし、それが上下に書かれ、左から風が吹くようにスタートし、三角の空間に渦が巻き、右へと流れる。そんなエネルギーの動きでした!
驚いた事に、人それぞれ書き方が違うのです。ある人は三角の渦の中を出ようとせず、とうとう三角を破壊してしまう!とか、ある人は、上は渦が巻けるけれども下は真っ直ぐ素通りしてしまう!

三角は人や状況のようなもの、左からの風は自分自身。
自分は人や状況にどうかかわるかが分かってきたのです。
三角の中に収めているつもりが、三角からはみ出す人もいました。まさに、相手よりも、状況よりも自分を大きくあらわすのが得意な方です。
努力をして、関わろうとしても、まるが書けない方もいました。まさに、拘らない方でした。
私自身は、勢いをつけると段々だ円になり、三角より大きくなりそうでしたが、関わりを持ち続けていました。

これを、右からの風に切り替えるともっと自分の癖が出やすいのです。

分かりやすいので、やってみてください。
それぞれが個性でしょう!
意味かどうかは分かりませんが、楽しいひと時でした。

 

 

こんなやり取りをしながら、日光に向かう! 明日続きを書きます!!

2012.3.24 わっぽー世界遺産日光セミナー資料より

野外セミナーでは、地球のエネルギーをじかに感じられるスポットに立ち、大地から木々から川から、滝から、大いなる自然からその強烈で微細で優しいエネルギーを受け取ります。
人が創った世界とは違う世界を感じ、そこに人が挑戦するかのように建造物を創造した昔の人たちのエネルギーを感じます。
その行為全てが自分を知るための行為です。
最大の楽しみはここで自分は何を感じ、何を考えるかです!それを味わい、チャネリングによってもっと味わい、ただただ楽しみましょう!!

聖地に立つ時、まず人が入る前のその場と繋がるようにしてください。
太古のその場です!
ひとはそれぞれの時代、それぞれの概念でその場を征服しようとします。
その中でも江戸幕府徳川のお墓ですし、江戸を守る場所でもありますので、それと先にリンクするとちょっと離れることはできないと思います。
まずは、純粋に大地を感じてください。そこから始めましょう。
全体が分かる地図をみて、位置関係を把握してください。気の流れをぼやっとで良いですので、感じて、実際にその場に立ってまた感じてみましょう!!

地名の由来 [編集]
日光(にっこう、古くは「にっくゎう」)という地名は、俗説として二荒山と二荒神(宇都宮二荒山神社)の「二荒」(ふたあら)を「にこう」(古く は「にくゎう」)と読んで「日光」を当て字したものと云われる。これは、820年(弘仁11年)に現在の日光を訪れた空海が初めて「日光」の字をあてたと 言われるものであるが、記録上で「日光」が見られるのは鎌倉時代頃以降で、記紀六国史はすべて「二荒神」と記述されている。
現在、空海が一夜で彫ったとの伝承が残る大谷磨崖仏や佐貫石仏は、平安時代後期から鎌倉時代前期の作と推定されており、これらの時代は日光菩薩像 が下野国下にも多く造立され、禅宗の伝来とともに日光山等の山号が国内の寺院に付されるようになった時期と重なる。なお、俗説として「ふたらさん」の読み は、観音菩薩が住むとされる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものと云われる。 古語的には「ふたあら」「うつのみや」は何れも「山(小高い丘)の崩落部」の意を起源とすると解されている。