滝尾神社はまるで城跡のような石段を登っていきます。見入ってしまい、携帯に収めることを忘れてしまいました。
先ほどの滝のすぐ上に位置します。
石段を昇って、視界が開けたと同時に、「わお~」と歓声が聞こえ自分たちも一緒に声を上げるていたのですが、右の写真の光があっていて全体白くなっているあたりが黄金に光っていました!
そう黄金です!
その向こうの鳥居が滝尾神社の鳥居になります。
滝尾神社概要: 二荒山神社の創建は天応2年(782)勝道上人が男体山頂に社殿を建立したのが始まりと伝えられています。延暦3年(784)に参拝が困難な事から麓に中宮祠を建立、弘仁11年(820)には空海が女峰山に滝尾権現を建立して遥拝所としました。日光二荒山神社の別宮として本宮、新宮(現在の二荒山神社) と共に日光三社権現の一つに数えられ信仰され隆盛します。古くから神仏混合しており明治時代初頭に発令された神仏分離令までは楼門に仁王像が安置されてい たそうです。境内には無念橋、酒の泉、子種石、縁結の笹、運試しの鳥居など史跡も多く霊地として信仰されていた名残が随所に見られ、本殿はじめ多くの社殿 が国指定重要文化財に指定されています。http://totitabi.ame-zaiku.com/nikkou/takiojinnjya.html
メンバーの一人が北野神社からお姫様歩きを始め、言動もそうなっていたのは、そういう事だったのですね!
今回は当時のお話はあまり聞かずに、歩みを進めました。
(二荒山神社から、先を急がされていましたので。何故なのだろう???)
もうすこし、滝尾神社を堪能!
お参りが精一杯!
お参りが終わりほっとしていたら、先程の姫様になっていたチャネラーがお能の様な舞いをはじめました。
感謝の奉納舞となりました。
何やら上も賑やかなご様子!
こんな時は、光が炸裂始めます。
撮影:鈴木しのぶ
滝尾神社にお別れを告げ、古道を戻り、二荒山方面に向かいます。
この三叉路まで、あっという間に着きました。
本当にあっという間に!
飛んだのかもしれません!若しくはワープしたのかも!!
とにかく二荒山神社から急げ急げと催促されていますので、何があるのやら、わくわくです!
この場で降りたコンタクト
強きものは 優しく
強きものは 他を抑圧せず おおらかで
強きものは 全てを受け入れる
弱きものは 強きものを脅威で抑圧し
弱きものは いつかは果てる
強きもののごとくあれ
強きもの、巨大杉、その根がこんなに絡み合い、これからもまだまだ共に成長していく。
百年後は夫婦杉になっているのかも!
そのエネルギーというか迫力は人の存在を払拭するほどのものでした。
この場が言う強き人とはどのような人なんだろうと思いを巡らしていたならば、目の前に看板があり、そこに修験道の開祖 役小角(えんのおづの) 超超能力の持ち主 と 弘法大師空海がここで修業したとあり、まさに本当の強き人を教えて貰った。
強きもののごときあれ!
そうなりたい、そうするには?
今できる事は、今この瞬間を生ききることだけ、とお答えしました。
自然は自然界の時間で成長し、又破壊を受け入れ、そして生まれ変わっていきます。
日光が世界遺産に登録されこれからもこの場が保護され、訪れた私達に多くを与えてくれる事に感謝いたします。
史跡指定 [編集]
1998年(平成10年)5月14日、世界遺産登録推薦にさきがけて国の史跡に指定された。指定名は「日光山内」、管理団体は日光市である。従来、建造物については国宝や重要文化財に指定され、保護が図られている山内地区であったが、面的な保護策は講じられていなかった。そこで、文化庁、栃木県教育委員会、専門家、学識経験者が協議し、二社一寺をはじめとする土地所有者、土地占有者ならびに関係者等の協力を得て日光山内50.8ヘクタールが文化財保護法にもとづく史跡指定を受けた。
世界遺産登録 [編集]
1999年12月2日にモロッコのマラケシュで開催されたユネスコ世界遺産委員会で文化遺産として登録された。登録名は「日光の社寺」である。
二荒山神社が先を急がしてくれたのは意味がありました。
私達が訪れた時、入社時間ぎりぎりだったのです。そんな事も知らず、参拝し出てきた時には扉がもう半分くらいしまっていました。それを観て、時間だったと知り、守られ与えられている事を実感しました。
ありがとうございます
初めて野外セミナーに参加した方の感想
「ありがとうございました。とても楽しくて、神様と戯れるにはこうやるものなんだなぁと、とても勉強になりました。もっと神様と遊ぶぞ~と思います」