過去生をなぜ読むのか(2)

前回の続きです。

夫は小物細工を創り、行商で売って生活しました。二人は幸せです!

女の子が生まれ、夫は小さな店が持ちたいと思い、商売に励みます!

ある時、お祭りに出店していた時、やくざに囲まれ、ぼろぼろにされ、夫もけがをしました。

でもこれからお店を持つのに逃げていてはいけないと、妻は夫には内緒でやくざのところに行きました。

持っていたお金を渡し、これから二人で店を出したいどうか認めてくださいと嘆願しました。やくざの親分は自分の妾になればもっと楽な生活ができるぞ!!と脅します。

しかし、懐中に観音様を持ち、死ぬ覚悟できたその妻の気迫はただならぬものがあり、美しい妻を親分は「お前が男だったら子分にしたいほどの度胸だ!」とほめ、店を持つ時に自分が手伝う事があったらいいな!とまで言ってくれました。

数年後希望のお店が持てました。

ほんの二坪のお店ですが、店主となったのです。

生活はほんの少し楽になりました。

妻は娘をどこに出しても恥ずかしくないようにしたいと、教育します。

自分自身はできなかった、かなわなかった事だから、想いは強かったのです

娘が遊びたい!といっても、読み書きや縫物、行儀見習いをさせます。それが幸せを掴めると思い始めていました。

自分がしたくてもできなかった事だからです!

娘が18になって嫁に行けそうな年になった頃、妻は病気になりました。

床に伏せながら、娘の看病がありがたく、もっと娘と話がしたい、もっと一緒に生きていたいと願いました。

幸せになった時にはそうお観音様に手を合わせず、幸せが当たり前になっていたのです。

病気になってから妻は娘と心から話せるようになり、夫とも本当に穏やかに暮らせるようになりました。不思議ですが、以前の幸せとは違うのです。

力がぬけ、こだわりもわだかまりもなく、ただ、今の在り方が嬉しく、命がある事が嬉しいのです。

お世話になった安寿様はもういらっしゃらないお寺に足しげく通い、お掃除やお手伝いをする事が喜びになりました。

貧しい子供たちに読み書きを教えたり、小物の創り方を教えたりして暮らしました。

50代で息を引き取った時には、気づいて本当に良かったと言いながら、天に召されました。

色々な体験をした人生でしたが、私もクライアントの方も涙があふれ心から満足いくものでした。読むことによって何が起きたかと言えば、勇気が持てずにいた結婚の方向が大きく進み、過去世を読んだ後来たお見合い話が、大工さんだったのです!

このご縁は天からの授かりものと思われ、結局その大工さんと結婚されました。

問題を解決した感覚はありません!しかし、問題とは、抵抗がある時問題で、溶けてしまえば、穏やかで生きているという現実だけが残ります。

過去世は、気づいて開放する事もあります

気づかず手放す事もあるようです。その方が自然なのでしょうか?結局その後心が軽くなり、人生を踏み出すことになったのです。

公開過去世を定期的におこなっています。

何人かのチャネラーが同じ時代同じ空間に入りそこに登場している幾人かが同時に存在するようなワークです。

まるで台本のない舞台です。

悲しみや怒り、失望感が臨場感を伴って迫ってきます。

同席した方は同時に同じ体験をし、自分の中に在る感情を開放できる事でしょう。また、自分のトラウマのヒントがそこに在るかもしれません。

どうぞ一度体験してみてください!