北九州・宗像大社セミナー 6/29〜7/1 ③

車の中で 踏江に対してTOMコンタクト

決めた事にこだわるな
こだわるならばその場に
なるようになるのではなく
自分の決めた事に
どうしたいか


決めた事にこだわらず、どうしたいか、刻一刻と状況は目まぐるしく変化する。その時々にどうしたいかと自問せよという事!

捉えどころのない事
それが拘り


私自身捉えどころのない性格でありながら、奥はかなり頑固だと自覚している。それを拘りと指摘され納得した。それで良いと言われていると思った。

人が作り上げたもの
それをみる


今回の旅は、自然を見て感じ取るのではなく、人が生み出した形を見て、多くを学びなさいという事だと理解した。

牛田 富美江さんお部屋で夜中まで、大チャネリング大会!!
踏江・TOMコンタクト

世の中の人は苦労している自分を美とするところがある
苦労してるのを美とするのは得ではない
無駄なエネルギーになる

 

色々あなた方みたいに単純に明確に素直に
良い所を取ろうとするならば
世の中はもっと新しい時代を迎えやすいわけですが
絶対少し捻る

 

単純さが気恥ずかしい
素直さが出しにくい

 

魂が傷つくとか
概念を植え付ける
魂という概念を作らなかったら
どうなるかを想像してください

「魂」は概念!??
新鮮だった!

本当の現実を知るとき
そうじゃないものを想像出来ない

 

人間が作り上げてきた概念を一回消さなければ新しいものは見えない

 

創り上げた概念を一回消さなければ、新しいものは観えてこない!凄いな!神様って!とコンタクトを取りながら思った。
この神さまは、中性の感じで、さらさらと言葉が出てくる。それでいて、鋭かった。
今後個の神様の指導をもらいたいと願いながら、コンタクトを続ける!

偽善を超える智慧が必要
それには
真実を現す美しさで現すこと

 

真実を現すと
美しさはひとを魅了するから
人々の目を心を魅了して
そのあとからその意味を噛みしめる

 

このゲームは一体なんのために?
それに歓喜している人たちに疑問を持つものはいない
ある種哲学の美しさを現す事で
真実の美しさを現す

 

身につけるものを一つ一つ
エレガントにしていくと良い

 

北九州・宗像大社セミナー 6/29〜7/1 ②

今回の参加者7名  18歳から67歳までの老若男女
宗像大社に詣でる。
朝から雨模様。全員ホテルでカッパを購入(何があるかわからないのでと言う予感がした)

本殿に詣でる前に、どうしても正式参拝したくて、受付にお願いする。1週間前の申込みです。と言われ、茫然とする。少し、ほんの少し間があり、神の計らいで明日一祭の後正式参拝決定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢山の参拝者と共に鳥居をくぐる。

大鳥居を過ぎると

「間に」とTOMさんが受け取り

その後を踏江がチャネリングメッセージを続ける  雨が降り始める

ここの鳥居
単に観光として動く者たちの流れにのるな
ここに来ているもの達の「間」に生きているわけだから
ここの鳥居から次の鳥居までに自分のしてきた事、つまり自分はこういうものというものを10個表す、今まで人生をみる
次の鳥居からは未来「次」と思った時浮かんだもの3つ
命というものをもっと大きく捉える自分
それぞれが個々となっている
「交わる」地球のものすべて
砂利一個も私、
場も永遠ではない
今ここにあるものは永遠ではない

 

 

 

 

 

本殿に詣で、高宮祭場に向かう 雨がひどく降ってくる。

宗像大社 観光ガイドより

突然参加者のMIYOさんに何かが降りて、ひざを曲げ頭を垂れ神に使える人になりに道案内を始める。私たちも、言われるままの作法ですすむ。

大きな木の下でしばし待て!とMIYOさん
どしゃぶりの中、巫女舞を始める。美しい!!

 

かなりの時間高宮斎場で各自、神と直接対話する。

あらゆるもの永遠に命を輝かしている
集まりしもの達の神が愛を持って
全てのものを愛でている
それをみうしなびて受け取り
自然の恵みを生かした生き方をする
伸びろう

解き放った状態でここに居る
解き放ったなら必ずや感謝、敬義を払うなどの形が自分の身体に現れる

大事なものを本当に大事にして行く事

高宮神社、二宮、三宮に詣で、みんなずぶ濡れのフラフラなので、一旦ホテルに帰り休むことにした。TOMさん「そうだよ、もう夕方だし!」とだが、時間はAM11時だった。もう一日分体験した感じだった。
本当はこのままフェリーで大島に行くことになっていたが、無理だろうと判断し、とにかく着替え髪の毛を乾かそうという事になる。

車の中で段々元気になってきたので、やはり大島に行くことにし、30分ご出発する。お昼はコンビニのおにぎりと水。

 

宗像大社沖津宮遙拝所に詣で、コンタクトをもらう
大島フェリー乗り場から、バスで遙拝所に向かい、遙拝所が観えたとたん鳥肌が立ち、沖ノ島に向かい海を見つめると奥から込上がってくるものがあった。

他民族に対する恐れや敵意の元になる
国境、排除
世界中も同じ地球人であると言う事
その場に生きる者が作っていく
世界中の血が混ざって地球人となる
大事な事
人が人を導くのではなく
神と繋がるという意識
何も恐れるものはない
ただ繋がる者が入れ替わるという事だけ

「自分の置かれた場所で自分を示す」
変わる中でも自分の置かれた場所で自分を示す」

駆け引き
2つの押し、引き
あちらこちらで起きている
橋は動く
何ヶ所にもあるから
それを面白おかしく受けて
自分の中で物事の限界をする時の力にすると良い
風習

この場に立ち
祖国を思い
そして天と繋がる
その思いの純粋さが増せば増すほど
人と生きるという事の力が大きくなり
それが感謝となって
大いなるものとして現していく
人とは思いから始まり
思いを形にしたものが力を表し
次の思いが神々しくまでの純粋な意識になる
人であるからこその形
民族性、血筋
大事にして、それを守ろうするものが
特別な物になっていって
守られる大切なものとなった
それを人類は大切にしてきた
もっと尊きものを知る事によって
もっと尊きものはなんぞやと問い続けるに至った
尊きものそれをこの身を通して
感じるが良い、思い出せば良い
この気持ちは宇宙に立ち地球を思う気持ちに等しい
地球を選んだ自分を知るという事
原点にかえる
原点を知る

「この場に知る事を求めてきました
下で宗像の神官を含め沢山の賢者の方が
純粋な思いを通し
日本という国で成功を収められ
もっと純粋な意識で神を称えられ
繋がっておられた事を知りました
私達が地球に行こう、地球に生まれようと思った意識と同じと神に教わりました
そしてこの場に来ました
とても強い強いお力を味わいました
どうかその奥に行かせて下さい
神と人と鬼と共にと昨日教わってきました
私達に何かの教えを頂けるなら扉を開けて下さい
そしてその扉の向こうに行かせて下さい」

各自が受け取りなさい
受け取れるものを受け取りなさい

この言葉を受け取り、バスに乗り中津宮に向かう前に、引き潮で道が繋がった縁結びの神様のご挨拶。

写真でも分かるように数分で空は重くなってきました。

この後土砂降りになり、またまたずぶ濡れ!

ゆっくり最終のフェリーで帰ろうと計画したけど、走って、いける人だけ中津宮に参拝し、20分後のフェリーに乗る事にした。

時間も体力もギリギリの二日目だった。

しかし、夜大チャネリング大会となり、翌日まで途切れる事なくコンタクトは続く。

 

ここまで読んでいたき感謝します。

夜のコンタクトは③に書きます。

 

 

北九州・宗像大社セミナー 6/29〜7/1 ①

念願だった宗像大社やっと行ける!胸踊らせ飛行機に乗った。

すでに、ためしは始まっていた。

出発前から、天候不良の為、着陸空港変更ありと聞き出発した。が、まさか、私たちの飛行機だけ、1時間半空で旋回していた。

定時に着いた新潟からのメンバーは、早い便だったので、2時間半空港で笑いながら待ってくれていた。

レンタカー2台に乗りいざ門司に向かう。目指せ和布刈神社!

 

高速乗る前に、田んぼの中でコンタクト

踏江  コンタクト

三重の層があって
横にも縦にもある
違う世界が同じ場所にあるという事を認識をして立ちなさい
自分が見ている一つの世界をまず見て
それ以外に2つあると見たときに
縦にあると見えるもの
上下にあると見えるものがいる
3つあるという事を意識して動きなさい
3つを言葉にすること
自分の元々持っている3つの世界観がわかってきます
同じ場に3つの次元があると思い
その場に立つ
それを再認識して
自分を知るという事をすると良いでしょう


習わしとは
見たことある世界と無い世界を繋ぐもの
見た事のあるものだけを重んじ
見た事の無い世界をないがしろにしたところがある
見たものより 見た事の無いもの
今後の動作には
ないがしろにしてきた
見た事が無いものをみる
それが今後の課題となって大きく影響を及ぼす事になるだろう

高速に2台の車がそれぞれに乗り出発

階段は登るだけではない
階段を横から見ている感じ
自分の見え方を変えると
もっと色々な見え方になるだろう


和布刈神社に行くはずが私たちの車は、玄界灘を渡ってしまった!
わおおー!!!
行先も違うかもしれないと必死でチャネリングする!!
車中でのコンタクト

踏みしめて次のところは気合を入れないと
受け取れない
ドスドス

渡す木と木があるから
橋渡し
人と人の繋がりを渡す
橋渡し
しかし残るのは橋のみ
人と人は入れ替わり
質も変わってきます
渡すという橋が残り、受け継がれていく
何を渡すのかは生きている人が決めていくもの
それは愚かなる事も尊き事も
橋を渡す事ができる
一人一人が何の橋を渡すのか
自分に問うと良い


鬼に教わる

鬼の世界を知る必要がある
鬼や魔 それらの智慧を知らずしてこれからの真実を知る事はできない

どこに行くかのキーワードをTOMさんに受け取ってもらった
『古事記』山口
探してみると 忌宮神社(いみのみやじんじゃ)

ついた瞬間ここだという手ごたえ
鶏が出迎えてくれた

そして、鬼石がある!!
鳥肌が立つ!

神は本当に教えてくれる!
本気で受け取り
本気で実行し
本気で理解しようと 決意する!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで和布刈神社に行ったもう一台と合流
和布刈神社の写真

日没後になりましたが、準備ができたようなので、宗像大社のそばまで行って、明日来ますとご挨拶をし、ホテルに帰り、夜の宴会に突入
死に物狂いでチャネリングしまくると決意するが、体力はなくなり、わたしは早めに消灯!

全てのテープ起こしをしていただいている、高橋真帆さんには心から感謝しております。

6月の作品

新潟に入り、隙間の時間が取れたので、6月の皆さんの絵をご紹介します。

描かれている空間も存在感も増していると思うのは私だけではないでしょう!

じっくり見てください。

今日の夜から7月の作品に入ります!

 

わっぽー野外セミナー『宗像大社』に行きます!

2018.6.29-7.1 北九州セミナー 
門司(和布刈神社)・壇ノ浦・火の山公園・宗像大社・海の道むなかた館・大島・新原・抜山古墳群・宮地嶽神社
参加者 7名

長年の念願だった、宗像大社に詣でる事になった今回のセミナーは、激動の2018年6月末から7月始めにかけて行くにふさわしい場所だと思います。
TOMさんの個人セッションでどうしても九州に行く気がするという私の想いから始まり、山口と門司のあたりでTOMさんの手が止まり、門司、山口、そして宗像大佐に行こうという事になりました。

チャネリングをし続けますので、全員で神と共にいける所までいきましょう!

29日

空港―門司 和布刈神社 ―関門海峡― 壇ノ浦・火の山公園

(時間を見て)―海の道むなかた館(ガイダンス施設)―宗像大社奉献館

30日

終日 宗像大社・大島(フェリーに乗り島に入ります。時間はい分を調整)

7月1日

神の指示に従います。

新原・抜山古墳群―宮地嶽神社

門司  和布刈神社(めかりじんじゃ)は、福岡県北九州市の神社。別名「速門社」(はやとのみや)、「早鞆明神」。旧社格は県社。

社伝で伝えられる限りでは神功皇后の三韓征伐後奉祀されたもので仲哀天皇9年(200年)創建とされる。古くは「隼人明神」とも呼ばれた。

壇ノ浦の戦いの前夜には平家一門が酒宴を開いたと伝えられる。

海峡の守護神として崇敬を集め、建武3年(1336年)足利尊氏、応永年間(1394年~1428年)大内義弘、天正3年(1575年)仁保常陸介などによる諸社殿の修築造営が伝えられている。現社殿は明和4年(1767年)小倉藩主小笠原忠聡の再建によるものである。

神社名となっている「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意であり、毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和布刈神事」(めかりしんじ)が行われる。和銅3年(710年)には神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述が残っている。福岡県の無形文化財に指定されている。

福岡県北九州市門司区門司3492

関門海峡を渡り、山口県に入り、壇ノ浦・火の山公園に立ちます。

海の道 むなかた館(ガイダンス施設)・
宗像大社神宝館(沖ノ島で発見され、全て国宝に指定された奉献品展示)

宗像大社辺津宮(三宮の社) 本殿・高宮祭場・第二宮・第三宮

自然豊かな「宗像(むなかた)」からご紹介。宗像大社は、全国に約7,000社ある宗像神社、厳島神社の総本社で、また全国の弁天様の総本宮であるという、由緒正しき神社です。  福岡県宗像市田島2331

フェリーに乗り大島へ

宗像大社中津宮・宗像大社沖津宮遙拝所

大社の一部であり、「海の正倉院」として知られる沖ノ島を含め、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、世界遺産暫定リストに掲載されている、歴史的・文化的な価値が非常に高いパワースポットです。

新原・抜山古墳群

59基の古墳群の中で一番古いと思われているのが22号古墳の前方後円墳です。全長80mあり、大きさも一番大きい古墳で、埴輪が出土しているそうです。
22号古墳は前方後円墳でしたが今は後円の部分だけが残っており、西側に縫殿宮(ぬいどのぐう)の鳥居があります。かっては縫殿宮(ぬいどのぐう)の社殿が頂上に建っていたそうです。 今は頂上に縫殿宮(ぬいどのぐう)の小さな祠があるだけです。大正六年の鳥居が建っていますからその頃には社殿があったものと思われます。
近くの奴山(ぬやま)地区には日本最初の裁縫(さいほう)の神様と云われている縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)という神社がありますが、 縫殿(ぬいどの)の名前も同じです。この2つの縫殿神社と縫殿宮は直接の関係はなく、奴山地区では縫殿神社を建て、新原地区では22号古墳の上に縫殿宮(ぬいどのぐう)を建てて、別々に呉から来たという4人の姫を祀ったのではないかと言われています。
最初は縫殿宮(ぬいどのぐう)は縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)の元宮だったのか、それとも御旅所だったのかと勝手に想像しましたが、そうでもないようです。

この新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は5世紀前半から6世紀にかけて造られており、古代の宗像地方の豪族の胸形の君(むなかたのきみ)一族の墓と考えられています。
胸形の君(むなかたのきみ)は今の宗像大社の大宮司家で古代にはこの宗像地方を治めていた海人族(あまぞく)です。

宮地嶽神社
宮地嶽神社の創建は社伝では約1600年前にさかのぼるとされ、息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。現在の境内は祭壇を設けたとされる宮地岳の山腹に位置する。また、宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。

 

帰って来たら、ご報告します!!