わっぽー新潟」カテゴリーアーカイブ

10月3日~8日新潟・長岡Heart Window Art教室・個人セッション・縄文式養成講座のお申込み受け付けます。

弥彦セミナーを終え、あっという間に1週間がたちました。弥彦セミナーの様子は、拙い表現ですが、コンタクト満載でお伝えいたします。

10月3日から8日まで新潟長岡に行きます。
個人セッション・Heart Window Art教室のご予約をお受けいたします。
縄文式チャネラー養成講座も同時募集しております。基礎コース第一回10月5日
よろしくお願いいたします。

個人セッション空き情報 (10月1日現在)

10月7日   15:30~17:30    フェニックス調剤薬局 滝谷町

10月8日   9:30~11:30  12:00~14:00     新津コニュニティセンター

Heart Window At教室
10月3日   12:00~14:00    長岡わかさ鍼灸院
10月4日   15:00~17:00    18:00~20:00  新津コニュニティセンター

縄文式チャネラー養成講座 http://mitsuko-fumie.com/?page_id=211

ご連絡お待ちしております。
080-1301-4228  踏江みつ子

弥彦神社・神が降り立った海岸・弥彦山頂上のワーク①

2013年9月22日・23日(秋分の日)二日連続野外+室内セミナーを、深いご縁がある新潟で行いました。

新幹線で東京から私を入れて4人のメンバーで弥彦に向かいます。
チャネラー冨美江さんを含む後お二人もチャネラー養成講座体験者で、チャネリングは身近な方々です。
その時からすでにセミナーは始まり、コンタクトの嵐でした。
コンタクトは懇親会の居酒屋まで続き、ホテルに入ってやっと終了でした。

 

そうそう、コンタクトです。録音しなかったので、書いたメモと、覚えていることをお伝えします。


コンタクト

人は立つ
人は掴む
人は歩む
これができた者は 一つ一つを魂に刻む

 

人は這い
人は飛び
そして 人は自由になる
何も無い世界で、ただ存在する。
天も地も無い世界で、新たな在り方となる。

 

メモ①
ここからスタートでしたが、まだ理解ができていた私は解釈を間違えコンタクトの受け取り方を間違えていました。それは知らない世界だったから。
今までの人の歩み方を、這い掴み歩むと言い、その人生は、魂に一つ一つを刻む
何もない世界で、這い飛び自由になる。この世界を今まで何となく知っていた世界に当てはめていました。けれども、全く違う次元を言っていました。
今は薄ら分かります。弥彦山の頂上で頂いたコンタクトそして、長岡のセミナーで頂いたコンタクトに至るまで、たくさんの体験をし、体験によって得られた事が智慧なのだと、だから今は感覚でこの世界が何となく分かります。

何もない世界とは!
天も地も無い世界とは!

メモ②

『宇宙は無い』

これが今回の旅の最後にきたコンタクトです。
私たちが感じる宇宙空間は、何万光年先と光の速度と時間を基準にして、計算された宇宙をイメージの元にしています。
時間の概念が本当に変わったならば、宇宙の概念自体が大きく変わります。

宇宙は無いと来たコンタクトを感覚的に理解することが始まったのだと想います。

もうとっくにご存知の方もいらっしゃるのかもせれません。

メモ3

感覚の違いはハッキリと人間社会に現れ始めています。

テレパシィはもうちょっと先だと想っていましたが、今回参加してくれた3歳児は、お母さんの行動を透視し、それをお母さんが隠したとき怒って傍によりつこうとしない行動をしました。
お互いにテレパシィが使えたのならば、すぐにわかり合える事です。

三歳児を連れてきたメンバーのTさんはお孫ちゃんの気持ちも娘の状態も察知して、お孫ちゃんには自分の言葉や態度で伝えないと人には伝わらないんだといい、娘にはごまかさないで分かられているのだからちゃんと謝って!と、互いのコニュニケーションの手助けをしたそうです。
未来の形です。

セミナーを終え直ぐに起きたことです。
三歳の少女は、おばあちゃんとセミナーに参加し、神々と関わり宇宙を自由に、体を持っておばあちゃんと体験する楽しみを知っています。
このような体験をするたびに、彼女の能力は拡大していきます。
時代が彼女についていってくれることを願いながら、また少女に合える日を楽しみにしています。
厳しくとも嘘のない生き方ができる多くの人々が助け合って生きる時代を。
新たな感覚を持った子たちを観ると、この子たちが自分を偽らない未来になるよう、私に出来る事をしようと強く思います。

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話を戻します。

2013092209430000弥彦線に乗るために、燕三条で弥彦線に乗り換えたのですが、鳥居をくぐり始めました。

 

 

 

 

 

弥彦線車中でコンタクト

天 空 有 地 くつがえし
地ひるがえる時  時を重ねし命ひろえし  生を失う
しかし 点は地の底に有り
天を智るには 地を 頭上に置き
天を踏み 空間を 感じながら
天 地 逆となす
この時を待ってた地球よ
この空間は 星の移動の助けを速めよ

 

天を智るには 地を 頭上に置き  天を踏み 空間を 感じながら  天 地 逆となす
これをワークでするのだろうか??  これをみんなが感覚で掴めるようなことが起きるのだろうか?  大変なセミナーだ!!  気を引き締めました。

とにかく、しっかりとぐランディングをして、その上で進めないとちょっと危険と感じ、集合したならば、みんなで一つになることを意識しました。

飛ぶ、自由になる、それは責任とセット ・・・・・ 責任とは、今この瞬間に生きるという事。そこは、地球と言う事!!

まさに天と地が逆になる時なのだと、何度もコンタクトは来ます。

コンタクトの進む速度が速く、三台の車で移動する時、バラバラな方向にならないよう丁寧に伝え、それぞれが感じる事を最優先にしようと意識しました。

エネルギーは高速に動いている。

 

コンタクト
トンツーテン テーテン 
振り分け振り分けて ぽんと手を離し ひょいと 掴む

やっと、弥彦神社です。
コースも、進むタイミングも、指示が来るので、みんな素直に従っていると、待て、こっちだ
と、言われ、そちらを観ると横の鳥居から正装の宮司さんが現れ、

見たか、神に仕える時の整え方・・・・・

コンタクトの意味は追求せず、ただ、その瞬間は他の参拝客はおらず、静寂に包まれ突然厳かに宮司さんが左の鳥居から現れたのでした。それだけで、ちょっと感動!!その感動を、天が与えてくれているのだと感じました。

また、待てが入ると、光が降りるタイミングで良しの合図で歩みを進めます。

弥彦神社では、徐々に周波数の階段を上っていき、その場で出会ったエネルギーによってまた次の階段の昇り方を教えて頂きました。

 

人は、身の丈をしっかり知り、自分の足で立ち、五感を使って感じ、進むだけです。
人の肩に乗って進んでも、地に着いた時は、結局スタート地点に降りることになります。一人一それぞれがご自分の感覚で、ご自分の世界観で歩むのを、互いに見つめ合い、自分を知る旅になっていることを願いつつ、今日はここまでにします。

まだ一日目の半分しか書いていません。

続く

 

9月6日Heart Window Art教室の様子

ご参加の皆様ありがとうございました。

長井知子さんのブログより
http://phoenix-nagai.com/?p=3159

ミク友桑マさんの日記より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1911329628&owner_id=33196114

ミク友たかまさんの日記より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1911304237&owner_id=55708935

新潟・長岡近隣の皆様、わっぽーHeart Window Artを一度体験してみませんか?

新潟 心の扉を開く アートセラピー Heart Window Art教室 9月の予定

わっぽーHeart Window Artを一度体験してみませんか?

ご自分の心の癖が線に現れてきます。

その線を通してあるがままの自分をただ素直に書き続けます。

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そして、今の癖からもっと開放され、形に観えない束縛や概念を解き放ち、自由な気持ちと    自由な動きを体験していきます。

何度も書いているうちに、集中力が付き、絵の中に入っていく時間が増えてきます。

その頃から、書いている単純な線の向こう側に、観えないけれど存在しているエネルギー      を感じ、それを表したくなります。

特別な人ではなく、ほとんどの方がそのような体験をされています。

チャネリングレッスンの中に取り入れていた手法ですが、どなたでも絵として形に観えるの     で、取組やすく、心の開放ができるHeart Window Artを体験してみませんか?

 

6日  Heart Window Art新津教室(新津コニュニケーションセンター)
①15:00~17:00   ②18:00~20:00

8日  Heart Window Art長岡教室(まちキャン)    14:00~16:00(以前発信した時間を変更し              ています。ご注意ください)

携帯電話:080-1301-4228

 

 

中学・高校・専門学校と引きこもり体験をした19歳 Yukaさんの自分史の紹介です。

今年、5月ピュアな彼女に出会った時、彼女の持っている霊的な感覚を含め、こだわりも枠も持たない人だと感じました。
だからこそ、同世代の人との関わり方が分からず、自分の扱い方が分からなく、普通の女の子の感覚が持てず、傷つくことが多っかたのだろうと理解できました。

彼女はふわっと笑顔でいます。
居づらくなると、段々気配を消すように自分を小さく固めていきます。

 

本文より

いろんな本を読んだり、母に話を聞いてもらって 自分を苦しめていた固定概念を無くしていきました。

あるとき、そのままの自分を受け入れられるようになったのですが

実際できてみると、不思議なほど当たり前のように受け入れていました」

 

以前から短期のアルバイトはしていましたが、今、彼女は農業バイトを始め、ちょっとづつ自立を目指している最中です。

また、彼女の絵を作品として、世に出せるよう、わっぽーとしてもサポートしているところです。

 

ご本人のHeart Window Artと共に、彼女の人生を感じていただき、もし、お近くに引きこもっていらっしゃる方やそのご家族が孤立していらっしゃるのならば、読んで頂き、少しでもお役になてるならばYukaさんも私たちも幸せです。

                                           わっぽー  代表 踏江みつ子

 

*      *      *      *      *     *

 

私の一番幼い時の記憶は、年少のときの記憶です

保育園の先生が驚かせようとして被り物をして部屋に入ってきました

ほとんどの子が怖がって、別の先生にしがみついて泣いていたのですが

私は、みんなの様子を観察していました

でも、みんなが泣いている事に驚いて、少し不安になって

私も先生の傍にいって隠れました

 

保育園では、よく先生のお手伝いをしていました

人に言われてではなく自分からそうして、

感謝されたり褒められたりすることを嬉しく思っていました

子供より大人に興味があり

親同士の会話に、よく聞き耳をたてていました

話し方も内容も子供相手とは違うから面白かったのだと思います

 

天真爛漫で喜怒哀楽が激しく、泣いていたと思ったら笑い始めたりして

感情がコロコロ変わっていました

わがままをあまり言わず、ある程度は自分で出来るので、手がかからなかったそうです

成長するにつれ人からは、おっとりしたタイプだと言われましたが

母は、私を勝気で芯が強い子供だと感じていたそうです

 

流行のキャラクターにあまり興味も知識もなく、

周りに合わせることもできず楽しめなかったのを覚えています

保育園に隣接している公園の砂山でおままごとをしたり

遊具で遊んだりすることが好きでした

同級生以外にも、ひとつ上の子と遊んだり、社交的だったそうです

自分で遊びを考えたり、一人で遊ぶことも好きでした

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小さい頃、親が共働きで保育園に迎えに来るのが母親ではなく

祖母だったのが、寂しかった記憶があります

祖母が嫌という訳ではなく、母との時間がもっと欲しいと思っていました

祖父母には甘えられず、我慢しているところもありました

 

祖父には、冬に裸足のまま外に出されて

玄関のカギを閉められたことがありました

大泣きしながら「家に入れて」と言いましたが、

近所の方に聞こえると恥ずかしいと思って声を小さくしました

家に入ってから、帰ってきたら母に伝えるために手紙を書きましたが

祖父に読まれてしまい、自分で破って捨てたので母に伝えられませんでした

その時は優しくて大好きだった祖父に、ものすごい恐怖を感じましたし

これから普通に生活できるのかと、不安も感じました

誰にも言えなかったからか、ずっと忘れていましたが

3~4年前に思い出して母に伝えました

 

小学1年生くらいのときに妹ができて、嬉しくて嬉しくて母に抱きついたのを覚えています

赤ちゃんの人形のお世話をして練習をしていました

生まれてからもすごく可愛がって、楽しかったです

 

小学生のときは、朝が弱くて毎朝ギリギリに登校していました

 

1年生のときは、同級生以外に6年生3~4人と一緒に遊んだりしていました  

 

2年生のときに、帰ってきても祖父母しかいないので

よく母の会社や携帯に電話をしました

 

冷めているところもあって、欲しいおもちゃがあっても

流行り廃れのあるものに、お金を使うのはもったいないと思っていました

  

2~3年生の頃、学校に行きたくないと言いだして

母に学校まで送ってもらったりしました

学校で何があったわけではなく、自分でも何が嫌だったのか分からなかったです

 

あとは、宿題などのやらなくてはいけないものが、

自分の中で絶対で、精神的負担だったと思います

泣きながら、やりたくないけどやらなきゃいけないと言って宿題をしていたことがあります

 

3年生頃からイライラしている事が増え、

この頃から小学校高学年くらいまで、結構短気だったと思います

自分でも分からない不安や不満で不安定でした  

実際、親に「何か分からないけどイライラする」と言って伝えていました

 

高学年の頃からだったと思うのですが、を生きたいと思っていて

過去なんてどうでもいい、今とこれからが大事だと思っていました

 

6年生のときに祖父が亡くなりました

一緒に住んでいる人が亡くなるのは、祖父が初めてだったので

突然でしたし、怖くて悲しくて泣きました

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小学校は人数が少なかったのですが、

中学生になって急に増えて

部活では上下関係もあり、居心地が悪かったです

周りとの感覚の違いを日々感じていたと思います

3年間本当にたくさん泣きました

 

中学1年生のときに、急に自分だけ他の人より重力が異常にかかっているような感覚で

だるくて苦しくて、起き上がれなくなり

医者に行ったところ、自律神経失調症と言われました

医者に深呼吸をしてみてと言われても出来なかったです

不安や恐怖などの感情が強かったので、体の動きが硬くなっていました

薬を飲んでもなかなか良くならず、

1か月くらい移動するときは母親に支えてもらっていました

体が回復した頃には精神的に病んでしまい

学校が怖くて、ほとんど学校に行がずに家に閉じこもっていました

人が怖くて、すごく怯えていたと思います

部活もプレッシャーでしかなくなったので辞めました 

 

2年生になりクラスも変わったので1年間通えましたが

小学校から一緒の友人以外の関わり方が分かりませんでした

周りから見たら普通に会話をしていたのでしょうが、

心の中では恐れや迷いがありました

 

勉強に必死になって、テストの点数にこだわっていて

頑張った分、結果も出るので楽しんでいたところもあるのですが

頑張っても頑張っても自分で自分を認めることができず、ずっと苦しかったです

 

相変わらず、精神的に病んでいるところがあり

様々な事の積み重ねによるストレスがあり、死にたいと思っていました

母にハッキリとではありませんが伝えた事があります

母は、それまで以上に話を聞いてくれたり、支えてくれるようになりました

この頃は、ネット中毒の様になって、パソコンばかりしていました

 

3年生で、またクラスが替わり馴染めず

もともと一人でいる事が好きなこともあり、一人でいる事が増えたのですが

悪口を言われ、本当に居場所がありませんでした

いつも呼吸が苦しかったのを覚えています

友達と普通に話せる余裕すらありませんでした

図書館とトイレによく居ましたが、そこでも落ち着く訳ではありませんでした

それでも高校を決めていたので、卒業まで通うつもりでいましたが

学年が変わって3か月くらい経ったとき、急に限界がきて保健室に駆け込み

何も話せずに涙が出てきて、ずっと止まりませんでした

その日から、一度も学校に行きませんでした

学校に行かなくなってからは、少しずつ元気になっていきました

卒業式は行きたくなかったのですが最後という事で我慢して

校長室で個人でやってもらいました

行く前は怖かったのですが、卒業証書をもらったときに

やっと終わったと思って涙が出ました

行かなかったら後悔していたと思うので、行ってよかったです

 

中学校の3年間は、特に苦しかった時期です

何が楽しかったのか覚えていません

違和感だらけで、牢獄のように感じていました

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高校は、私立のキリスト教の学校に寮生として入学しました

兄も同じ学校に入学していたので、中学2年生のときからこの学校を知っていました

学校見学をしたときに敷地内にある教会を見たことで、その学校が気に入りました

授業の中に聖書の時間があるところも好きでした

中学に行かなかった事で、明るさが戻って前向きだったからか

迷わず、自分で寮に入ることを選択しましたが

今思うと導かれていたのかなと思います

 毎朝教会で礼拝がありました

讃美歌を歌ったり、お祈りをする時間は、一日の中で一番心休まる時間でした

寮に入ったことで、友達もたくさんできて楽しかったのですが

一人の時間がないことや、決まりが厳しかった為か

段々、精神的に不安定になりミスが増えたりコミュニケーションがうまくできなくなり

寮にいられる状態ではなかったので家に戻りました

だんだん学校に行く回数も減ってきて、2年生のときに中退することになりました

自分が入りたいと思った高校だったので、中退という決断をするまでは

ものすごい葛藤がありましたが、辞めてみたらどんどん楽になっていきました

 

年齢的にどこかに入学しなければいけないという固定観念があり

美大と悩みましたが、パティシエの勉強を始める為、専門学校に入学しました

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専門学校とは言っても、高校とあまり変化がなく

集団行動、ルールや時間に縛られることに苦しさを感じました

自分のペースや心の中が乱れると、クラスメイトとどう接したらいいか分からなくなってしまい、尚更自分を追い込む形になって通えなくなりました

この補習を受けないと単位が足りなくなるというときに

私の気持ちとしては、行きたくありませんでしたが

頭の中で、母に車で学校の前まで送ってもらい、

その車の中で大泣きしているイメージがあったので

そこまではやらないと後々後悔するんだろうと思い、イメージと全く同じ事になりました

入学する前に、頭のどこかで卒業しない事を知っていたので

中退となったときに混乱したりすることはありませんでした

むしろ、これから始まるぞという清々しい気持ちがあった気がします

 

思い返してみると、いつもパターンがありました

自信がないので、ネガティブになって自分を責めて自分の殻に閉じこもる

その結果、周りに影響を及ぼして悪循環に陥るというものです

落ち込むたびに、家に引きこもっていました

そうなる度に心の中では、なんでこんなところで苦しんでいるんだ

早く前に進みたい、どうしたら抜け出せるんだと思っていました

人が怖いという気持ちや人の目を気にしすぎるところも度合いは違っても

専門学校中退まで、ずっとありました

 

いろんな本を読んだり、母に話を聞いてもらって

自分自身を苦しめていた固定観念などを無くしていきました

あるとき、そのままの自分を受け入れられるようになったのですが

実際できてみると、不思議なほど当たり前のように受け入れていました

引きこもっていた時間は、何もしていないようで

ものすごく意味のある時間だったと思います

中退した時に霊感がある方が実際体験したことを書いた本を読みました

そこで、改めて神仏や霊的なものに対しての興味が増しました

  

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お遍路さんのツアーに申し込んで、

今年の3月末に行ってきましたが

その1か月くらい前から、パタリと無駄な悩みを持たなくなり生きるのが楽になりました

今思うと、19歳になったときが変わり目だったと思います

 

お遍路さんの旅で、いろんな人を観察して勉強になりました

改めて自分で意識していれば、どんな事にも気づきがあり

成長できるチャンスがあるんだと思いました

一緒に回った先達さんの方に数珠で体を擦って頂く機会があったのですが

気持ちや体が楽になって、清められたような不思議な感じでした

本当にたくさん感謝をした旅でした

  

昔からですが、霊感のある人やスピリチュアルな事に関わりたい

そういう人と交流したいという気持ちがあり、お遍路さんから帰ってきて

いろいろ本を読んだり、調べたりする中で踏江先生のHPに辿り着き今に至ります

専門学校中退までの学生時代は、苦しかった思い出が多いですが

やっと解放されて、今は自分のやりたいことができている感じがします

 

チャネリングは、今でもなんとなくという感覚ですが

小さい時から同じような感覚はあるので、昔からチャネリングしていたんだと

踏江先生に会ってから気づきました

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Heart Window Art教室は千葉・新潟・長岡で行っております。

ご参加お待ちしております。参加料1500円

8月25日  Heart Window Art松戸市常盤平教室 熊野神社となり金ケ作自治会館2F   15:00~17:00
松戸市金ケ作362番地
8月27日 Heart Window Art市川教室市川市市民談話室  4F 第4集会室         15:00~17:00
千葉県市川市八幡2-4-8

9月5日 Heart Window Art長岡教室(わかさ院)    13:00~15:00
9月6日 Heart Window Art新津教室(新津コニュニケーションセンター)  15:00~17:00  18:00~20:00
9月8日 Heart Window Art長岡教室(まちキャン)   13:00~15:00 

 

フェニックス調剤薬局(代表取締役 長井知子)の協賛を得ております。

http://phoenix-nagai.com/