今日は久しぶりに市川でHeart Window Art 工房行いました。
絵を描くって幸せです!
どうなるか分からないと言いながら、自分が満足するラインよりもう一段丁寧にもう一段強気で描くよう心がけて頂き、深い絵になりました。
今日は久しぶりに市川でHeart Window Art 工房行いました。
絵を描くって幸せです!
どうなるか分からないと言いながら、自分が満足するラインよりもう一段丁寧にもう一段強気で描くよう心がけて頂き、深い絵になりました。
近くの林も成長し、大きくなった分お手入れ大変。林の中は広々としています。多分敷地外に出ている枝を落としているのでしょう。危険がないように、トラブルがないように。
居住空間にある自然林は、中の小さな生態系を極力壊さないように、見守っている人々がいてくれるから成り立つのです。
いつ無くなってもおかしくない場所にある雑木林。いつも、木を見つめ、木と触れ合い、木と対話出来きる奇跡に感謝しています。
近くの8回建てのマンションを越え太くなった木を中心に、天まで伸びて行けるだろうか?
それはこれから何百年もかかって御神体になっていくのだろう。
朝からそんな妄想にふけってしまいました。
今日の講座参加者の言葉と、宇宙からのアドバイス
不安もあるし、揺れる事もあるけれど、その場の状況に乗れるようになりました。
2割大好き 2割大嫌い 6割どうでもいい
そんな私です。
宇宙に聞きたい。
腰が重くて、動きにくさがあるけれども、これはどうしてでしょうか?
コンタクト
あなたは、ハイヒールはいてスマートに歩きたいから道を選んでしまう。
歩ける道が限定されるから、動きにくい。
結果腰が重いような気持ちになる。
ハイヒールだけではなく、スニーカーなど履物を変えるような気持ちになれば、選択肢は増えて、どんな道も歩きたくなる。
のぞき見だけでも楽しくなる。
ご本人はとても納得出来たようでした。
自分が知らないこだわりを、天は言い当てます。
他の参加者も、分かりやすいアドバイスをもらい、爽やかな気持ちで終了しました。
2017年は想いがすぐに実現します。
想いを重くしていると、実現する速度もちょっとかかります。
軽やかに思考する癖をつけていくと良いかと思います。
軽やかに思考する。
それは、死と言う人生最大の輝かしいフィナーレに向かって、わずかな時間を生きていると実感することです。
その光の祭典に向かい徐々に自分を高めているのですから、自分が輝く行動を選択して生きましょう。
輝く行動、それは、したい事をすると言う事です。
しなくてはいけない事は、自分の奥が本当はしたがっていることなのです。
ちょっとしたボタンの掛け違いで、しなくてはいけないと思いこんでいるのです。
目の前に置かれたことを、自分がしたがっているのだと言葉に出してみると、さらりと実行できたりします。
2017年は魔法がかかりやすい年です。
魔法は、現実逃避ではなく、現実に生きるために使える方法なのです。
自分を元気にし、希望の現実を生み出す方法です。
これからずっとそうなのだと思います。
素敵な魔法をかけて人生を楽しんでください。
追記:講座参加者から頂いたメールです。
メールありがとうございます。
今日はまさにこの言葉をずっと考えながら、不格好でもいいからとりあえず第一歩踏み出そう〜!と思っていたところです。
ブログの「軽やかに」というテーマもとてもしっくりきます。
まずは「こうであるべき」「これが理想の形」というのを取り払って、何はともあれ軽やかに一歩を踏み出してみる。実践していこうと思いました。
嬉しいお返事いただきましたので、ここにアップさせていただきます。
お読みいただきありがとうございます。
かなり怖いコンタクトなので、心の準備がない方は、読まないでください。
2017年5月10日 闇の神様よりコンタクト
人は本来残酷である
残酷に人を罰し、人を破滅させ
自分をも破滅させる
喜びの中で生きるというのは
喜びの瞬間を生きるというのは
その残酷さを超えたところにある
残酷を超える手前の喜びは偽りである
残酷さを知り
その相手への拒否・否定があって
それでも関わろうとした時 初めて 本来の人を超えた
『神の領域の愛おしいという想い』
『感謝の愛の世界』
を知るのです
人は残酷なものです
残酷な仕打ちを受けている時 ありがたいと思うならば
それは偽善でしかない
残酷な仕打ちを受けている時
相手を拒否したり 相手を憎んだりして
真正面からその残酷さを受け身に染みさせる
そうすれば
その向こうにある 慈しみの世界に入っていくでしょう
しかし
感覚がこの残酷さを認識出来なくなっていく
残酷を残酷と思えない状態になったならば
それは闇ではない 生きている世界でもない 神の世界でもない
人が創ったゲームのような世界
ただただ 意味のない何かをし続け
それがどういう事をしているかも考えず
智慧も働かせず
相手を分かろうともせず ただただし続ける
そこに陥ってしまったなら そこはあり地獄のように
あがけばあがくほど埋没して
無感覚の孤独という世界に入っていく
それがウイルスのように広がっていく
いつ感染してもおかしくない
2017年5月10日踏江みつ子コンタクト 「5月6月について」
人々が生きていくうえで
多くの事が停滞します
変化が激しいように観えて 現実の生活は停滞することが起きます
心を求める 色々な体験したいという欲を持った者たちは
停滞するものたちとの差が大きくなり
お互いの姿が観えなくなります
心を求め超特急で動いているものたちは 互いに動いているものたちでないと認識出来ず
止まっているものたちは 足踏みしているものたちしか目に留まらなくなります
同じ場にいたとしても お互いに認識出来なくなるでしょう
そういう現象は多く発生するでしょう
沢山の岐路を体験したいものたち
沢山のスリルを体験したいものたちは今こそその力を発揮できるでしょう
チャンスです
思いっきり 自分が持ているものを総動員して
事を動かし そこを楽しみ 智慧を使い もっとことを動かす
結果など求める必要なく 一つやり 次を起こし また次をやる
結果など見ている間がない というほど動いていけばよいでしょう
役割がそれぞれの立場で始まっています
止まるものも必要でしょう
超特急で進むものも必要でしょう
地球の上に あなたの速度を置くのがあなたの役割です
人と共に何かをすると言う概念ではなく
何かによって自分が動かされ 何かによって事を行うという事を良しとする
自分はそれを選んでやっている
周りとの差があったとしても
全体で言うと全てがあって成立しているのです
動かないものも必要 死ぬものも必要 生き残るものも必要
質問A
個人的な事ですが、疲れたので止まろうと思ったのですが、それは停滞するという事でしょうか?
まず止まれないでしょう。
休みたいならば、動きながら休めばよい。
すぐに分かるでしょう。
あなたは止まると混乱します。
質問B
私は動いている気がしないという事は止まっていることでしょうか?
あなたは、自分のした事の記憶はありますか?
質問者
周りの人は分かりますが自分の事は記憶ありません
ではあなたには速度はわかりません。
そうなってそうなってそうなっていると分かるから、速度が分かります。
あなたは、ぱっ、ぱっ、ぱっとその時しかありませんから、ただ在るという事です。あなたの質問に答えても、意味がありません。記憶が無くなるでしょうから!
質問者C
いろいろやっていますが、大丈夫でしょうか?
何を持って大丈夫かは答えられないが、常に綱渡りをしているから、ゆらぎの中でギリギリをやっているから、あなたの人生で大丈夫はないと自覚した方が良い
揺れて、ときどき落ちている。
その後道に立って、道を歩けば、良いのですが、綱しか目に入っていない。
綱が道だと思っている。不安定さが道だと思っている。
命が、地球人の命というのがそのようなものだと知っているから、しっかりとした道を歩くのは仮の姿だとしか思えない。
命と言う不安定なところに身を置き、何も分からず生きるというのは、綱渡りをし続けるという事を知っているから、綱が人の道だと強い認識を持っている。
だから、道は人の道ではないという認識があるから、安定した道を避けてしまう。人は、不安定なものだという信念というがあるから、綱しか観えない。
人間はいついかなる時どうにでもなってしまうから安定した道は違和感がある。
綱は 生きるが出来る
大地があると生きるが出来ない
道を歩いていると死が分からない
生きるが出来るのは死があるから だから綱!!
安定は幻