雪かき 初体験

奥出雲も19日から大雪になり、娘は雪かき初体験が出来ました。

雪に埋もれた実家です。

そこで生活する事は大変ですが、40年ぶりに大寒の大雪を見てはしゃいでしまいました!

子供の頃の冬の生活で重要な事は、火を上手に使い、熱を逃がさない事でしたが、隙間風入り込む田舎屋では温かく過ごせる時間は夢の時間でした。寒さとの戦いでしたが、雪は天からのプレゼントと思っていました。雪が降ると全てが平らかになり、皆光り、真っさらの大地に自分の足跡をつける時のワクワク感は、みなさんご理解いただけると思います。

今回実家も、親戚の家も昔ながらの造りの家では底冷えし、娘は、ダウンコートをなかなか脱げずストーブにあたっていて、おニューのコートを焦がしてしまいました。

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薄く広がる絶望感 それでも人は立ち上がる

8月強烈に暑いです。暑く暑く色々なものが溶けそうです。
8月、今まで以上に人生が大きく変化していくように想えます。それは、自分自身が表面に表れてくるからです。
気が付かず、自分の我が出てきます。
その我は、奥の個性として眠っていたものだったりします。
それに気づかなければ、知らず知らずに自分のパターンを以前より強烈に表わしているでしょう。
昨日、私の中にあるのもが浮上しました。
仕事で緊張感を持ち神に祈り、事の推移を見守る事柄が起きました。
うまくいったと思ったら、どんでん返しが起き、でもこの最悪な状況はもっと大きな奇跡が起きるかもしれないと神の意図を感じていましたが、当事者がその緊張感に耐える事が出来ず、目先の考えで動き、振出しに戻ったのです。
急展開に唖然とし、絶望したあと、虚無に入っていきました。
全ての仕事に対して、心が重くなり、丁寧に寄り添っても徒労に終わるような薄い絶望感が全体を覆っていました。

その自分に違和感を感じ、TOMさんと話をします。
『その瞬間だけ!!
これが続くとかではなくその瞬間だけ。』
その言葉で、ふっと気持ちが変わってきました。自分がいる場所が変わってきました。
しばらくすると、先ほどの虚無も薄い絶望感も全くなく、起きた出来事さえ遠くに遠のいた感じです。
静かで、暖かく、明日どんな事が起きようとも粛々と丁寧に関わるだけの自分になっていました。
人は変わる事が出来ます。
そのヒントを、人の言葉や、神の言葉や、transcendensse(超越)から受け取る事が出来れば、人生を最期まで楽しめるののだと思います。
今朝母と電話で話しました。
桃を送ったと。
声が弱く、具合が悪そうだったのですが、話をしているうちに元気になっていきました。
87歳認知症が進んでいます。自分でもおばあちゃんはもうだめだ。と、言葉にしています。
分からない事が増えている、出来ない事も増えていると話します。死にたいと思ってもお迎えがなかなか来ない。でも朝5時半に起きて、少しでもおかずを創り、90歳を超えた父と調子の悪い兄の食事の用意をします。多分台所はかなりの状態でしょう。
食べさせてやりたい。それが母の願い。ずっと食に携わってきた母は、野菜も全て自分で作り、土地があればそれを生かすのが神様へのお礼と言って、土を愛した人でした。今は腰を痛めたので、家から余り得る事が出来ません。
草でおおわれていく畑や庭を見て、ため息をつきながら、若いものは・・・・まあ、出来る事だけだな~と言います。自分の部屋を小屋と初めて言葉にしました。改装する前の25年前の風景を言っているのです。認知症は進んでいます。それでも家族の為にご飯を作っています。
人の限界と、人の生き様を見せて頂いています。時間を創り、自分の体力を調整し、逢いに帰ろう。
奥出雲に帰ろうと今日思いました。  明日から新潟・・・調整せねば!

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奥出雲への帰郷 その②

まだ炬燵が出ていたので、炬燵にあたりながらこの景色を眺め、両親とお茶を飲み、緑が深くなった庭や山々の話をします。庭のトガノキの剪定の事。畑に植えたカボチャの苗。庭の草取りの苦労話。
小言は言うけれども、穏やかになった父と、ちょっと意地悪になった母。

両親の在り方は、夫婦の概念を変えてくれました。
どんなにいがみ合っていても、時間や他から与えられる苦が、二人の絆を強くしてくれると。

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穏やかで夢のような時間を過ごしていました。

 

 

 

 

しかしです・・・・・

 

家の裏に行ってみると、あ~~~らびっくり!

道が消えそう。。。

 

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こんなになってしまった。このままでは確実に山と繋がって、家は朽ちてしまう!大げさですが・・・
兄が具合が悪く両親とも高齢化し、庭の手入れだけで精いっぱいだからしょうがない。

で、奮起して鍬を担いでいざ出陣。

これだけ伸びてくると、根っこまで掘らないと、これからもっと恐ろしいことになる。

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なたかまも使いガシガシと始めました。

なたかまは山で使う鎌なので、歯が厚く重い。その分勢いもあるので、斜面の草はどんどん刈る事が出来た。面白すぎて、腰が悲鳴を上げ右手が筋肉痛を起こして、作業終了。1回1時間半から2時間が限界。
考えてみると、セッションと同じ時間。頭も体も集中力が続くのはその位なのでしょう。

炬燵に集ってお茶を飲み、誉めてもらって、また作業開始。

3日に分け合計5時間くらいでタイムアウトとなりました。悔しい。もう一日あれば道は開通できたのですが。
段々効率が上がったけれども、最初がもたついたことが悔やまれる。。。

2014052514570000隣との境界までの半分しかできなかったけれど、風が渡り、気の流れがよくなりました。

昔話です。
この道は元々は馬と人が歩くだけの広さだったと祖父から聞いていました。右の一段上がった今は畑になっている敷地に昔殿医が住んでおり、この道は、お城へ続く大事な道だわなと、幼いころによく聞いていました。幼心に誇らしく思っていたことが今は微笑ましいです。
祖父の話は見たかのように話すので、時代がわからくなり本当かどうかも怪しいと想いながら、「あの山の上に殿様がいて、その殿様が鉄を広めただわ」の言葉に気持ちが引き込まれていきました。
我が家の屋号が鍛冶屋でしたので、鉄と聞くと気持ちが踊り始めるのです。今でも畑を掘り返すと大量のたたら屑がでてくる事も、どこか宝物が隠されているような気持ちになります。

 

この後お墓参りをし、ついでに墓までの道もかまで広げられました。お墓にもう参る事が出来なくなった母の願いを叶えることができました。母は、気にかかっていたから気持ちが楽になったと何度も言います。家の中でも杖が手放せなくなった自分の事を時々嘆きながら、・・・

生き続ける事はたくさんを諦め、そして到達する翁とへの旅なのでしょう。

Wikipedia解説より:男の老人を「翁」、女の老人を「嫗」と呼ぶ。中世において子供は「童」と呼ばれてまだ一人前の大人)ではないのに対し、翁(嫗)は既に人でなくなった存在とされていた。老人になると、翁(嫗)となり身体の衰えに応じて働くのである。

 

 

今回ほど楽しめた草取りはありませんでした。鎌も研いで切れ味の良い状態にできたので心地良かったのでしょう。鎌研ぎも祖父から伝授されたことでした。

色々な話も生活の智慧も、時間をかけ理解できるように何度も伝授され、実践を積むことで受け取った智慧は活かされ磨かれていくのでしょう。
何度も鎌を研ぎながら、自分もちょっとは磨けたかな。

 

 

 

 

 

奥出雲への帰郷  その①

22日から今日まで、半年ぶりの帰郷でした。

母の米寿。父は再来年満90歳。

聞いていない話を聞きたい、自分に出来る事を今したいと想い、帰郷しました。

 

 

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米子鬼太郎空港から松江に向かう空港バスからの風景

中海に注ぐ光
出雲の国の光です。

柔らかいのに沁み込んでくる光

 

 

 

今日の帰りの風景を見てください。

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スサノオノミコト

八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を

 

この歌のように、出雲は八雲たつ様が常の事で、コロコロと天候が変わります。
そして、気が満ちていました。

 

 

11月20日山陰スピリチュアルビューティに出展します!

山陰スピリチュアルビューティに出展します。

島根、鳥取のみなさま、ご興味のある方は是非ご参加ください。
わっぽーブースにお待ちしております。

http://ameblo.jp/44-angel/entry-11030072341.html外部リンク

神在月に帰郷できるのも、心うきうきです。(16日〜21日)
神在月のご神事は25日ですので、ご神事には参加できない事が、心残りです。
奥出雲の実家にも立ち寄る旅ですが、どこに立っても、神様だらけ!精霊だらけ!
深い森も入ってこよう!!

どんな事が起きるか、ん〜〜、今から幸せですぴかぴか(新しい)ハート達(複数ハート)ぴかぴか(新しい)