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秩父三大神社に詣で

9月22日23日で秩父三大神社に詣でました。

22日は宝登山神社と三峰神社で十五夜月読観月祭を体験し宿泊!

翌日豪雨の三峰を堪能し(さ迷い歩きまわる)、不思議な霊力をしばしの間頂き、その後秩父神社を参拝しました。

秩父はあまりにも深く、二日間の体験が何日も秩父にいたような感覚になるほどの混乱と壮絶な体験でしたので、内なる変化が落ち着く今日(10月1日)まで言葉にすることができませんでした。

霊力というのは、触りもしないのに、傍にいた人に触ろうとした途端、その人を吹きとばした事件?です。ドンッ

その人自身も崇高なチャネラーでしたが、お互いに気を出していたわけでもありません。全員疲れきっていましたので!

合気道初心者の私は、上級の先生が若いお弟子さんを飛ばしているのを観たことはありますが、触りもしないのに飛んでいったのは観たことがありません!(話に聞いたことはあります)

しかし、疲れて脱力して座っていた人が自分の力ではなく、だれの力でもなくジャンプして、くるっと向き替えたのです。

その場にいたみんなでびっくり!!叫び 私もびっくり!

その方は「きっと踏江さんの風圧だ!」と納得していましたが・・・・「腰を下側からふわ~っと持ち上げられた感覚だった。」と話していました。

時は23日14時近く、三峰神社参道が豪雨で川のようになっていくなか、たくさんのコンタクトを受け取り、疲労と寒さでくたくたの状態でバスにて下山、秩父鉄道三峰口駅待合室の長椅子での事

日本武尊を救ったお犬様(狼)のパワーが、疲れていた私に注がれて起きたことのように思えます。

私自身その現象が起きてから、歩くことも楽になり、考える力も湧いてきました。

どういうことですか?と天に聞くと『元気になったろ~』とお答えいただきました。

秩父神社までその状態は続き、みんなにもその力を体験してもらい、終息!!

さすがに修験場、霊力がただ事ではありません!!

今はその力はありませんが、完全に力を抜き全てを託した時に起きたあの感覚は、合気道でも真髄の教えです。

あの感覚を意識的に常に維持できたなら、もっと多くの真実を知ることができるだろう、その地点に立ちたいと強く願うようになりました。

三峰神社は思い出しても不思議な場所でした。

神様の扉は帰る前のほんのわずかな瞬間に少しだけあけていただけました。それまでは、大雨のせいではなく、霧がかかりお社もお山も良く観えない状態 が続いていましたが、あけていただいた瞬間お社は巨大にそびえ立ち、小さな祠も文字も、木々も、葉っぱ一枚一枚が大きく観えてきました目

本当に普通の神社とは趣が違い、山奥の聖域を肌で感じることができたようです。

光も闇も、極楽も地獄も同時に存在しているように感じました。

実際に高い地点に霊体がたくさんおり、憑依されたメンバーは対話と浄霊により解放されるという体験をし、また風の流れから考えると吹きだまりのよう な落ち窪みのような場所が、とんでもなく高い光を放ち神々が集っていらっしゃる地点になっており、そこに入る許可は頂けずに、伏して通過させていただく体 験もしました。

天と地が逆になっており、左右の感覚が違ったりと、時空がずれているような、不思議な聖地です。天国と闇の世界がそこかしこに点在している不思議な聖地です。

その地と神々のパワーは、人の心の在り方を変えてしまいました。

参加したメンバーの一人は、心に湧いていた不安感を飲みこもうとして、とうとう体調が悪くなり、十五夜の宴に参加できずに床に伏せっていました。

自分の心をさらけ出し、神のみ前に全てを託した時から体調は良くなりましたが、自宅に帰ってからは、心は沈みがちになって、汚いものばかり目に入る状態になりました。

実際、汚いものを見まいと想っても、現実は汚いものだらけなのです。

地獄は汚れとして現象界に存在し、観せてくれています。

その闇の世界をそうかと認めるようにアドバイスをし、本人がその闇に浸っているうちに、気持は安定し、ふてぶてしさが内側から出てきたようでした。

光だけを求めても、現実には闇の方が勝って存在しています。

その闇に相対しても、動じない心の在り方を、三峰の神は教えてくださいました。

三峰神社はそういう場だからこそ霊力も強いのだと実感しました。

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