第二チャネラー養成講座アドバンスコース聞き取り抜粋① 2012.01.09
自分を知ること-三角ワークの構造(一点に自分のエネルギーを置き、そのエネルギーを残し、残り三点にも我を置き、その中心に立つワーク!別名*3分身の術)
口述 ふみ先生 文責WAKA
(一部改変)
現実にやったのは、自分が有る自分が有るで、自分に入っていったのでしょう。
結果自分が自由になったのです。
本当の自分になれば自由なのです。
ものすごく視点が高くなる。
これがあるがままでいいという(意味)でしょう。
それぞれの空間が違うはずです。自分の空間に入って自由になるかどうかでしょう。
行きたいとおもいませんか?
ここが一番気持ちが楽しいいんだもの。
自分を知ることは自由になることなのです。
一人であっても寂しいことではないのです。
むしろワクワクして 楽しいこれが現実です。
(三角のワークで)最後の時点で視点が高かったでしょう。
地球の未来が見えるはずです。もし見えなかったら見ようとしなかったのです。
(ただ)あれ(視点の高い状態)が普通になるのですが、
結局未来を知ることをあんまりやったとしてら、今の瞬間を生きることが疎かになるのです。
有限なる(存在である)身体で生きることが未来の記憶が消えるのです。
(未来を見ないようにして)知らないようにするのも価値のあることです。
あえて記憶消してきたのだから、知って生きるより知らないで模索して見えない自分を生きることです。
ただワクワクする。それでもいいんじゃないかなあ。
(しかし)先をみたら、その自分になっちゃう訳でしつこく先の自分を読み込んでいこうとします。
先の自分を見て自分を観察するとどういう自分になるかというと、
(例えば)今現在の自分、の半年先の自分が来る訳です。
(今から)半年先の自分になるのです。もっと半年後はもっと変わっています。
本当に現実に起ります。
先を読む自分を体験する自分があります。
(三角ワークの)最後の空間の自由さは、本当の自分ということです。
自分を一杯置いて到達したところです。
お疲れ様でした。
さしあたり一部ですがアップします。
すごいセミナーでした。
濃いですが明晰な内容です。
文責Waka
第二回チャネラー養成講座アドバンスコース聞き取り抜粋② 2012.01.09
自分を知るためにひとがいてくれる-主客の存在論的超克-知りたい
口述 ふみ先生 文責WAKA
(一部改変)
ふ 自分なのだけど形を変えた自分になれるかどうかは、向こうの自分のエリアを越えたものとは違うのです。
同じ水があります。
自分のところの水という時にはこれをどうゆうふうに感じますか?
ふ 自分自身をどうゆうふうに感じますか?
わ 自分がいるという感覚はないです
ふ 境界線がない。自分の感覚がない。というのは無のほうに行っています。
有るほうを言ってください。
わ みんなただあるのですよ。(存在自体は)有るとも無いとも言える感覚です。
誰のモノでもなくその有り様でもない。気配のような感覚で受け取られないのです。
ふ そのモノはどのように受け取られるのですか。誰かの所有物としては受け取ることのできないものです。
わ モノがどんな感覚で・・・
ふ ここに気があるとした場合、化学記号としてや光の粒子とかの場合もあるでしょう。モノとして有る感覚というのは・・・
例えばこのモノという言葉をどういう風に伝えるのですか。
わ そこには名前が無くなっています。それはそこにあるということを伝えます。これはなんだというとエネルギーです。
ふ 自分自身に対してはどういう感覚なのですか?
わ そのモノに意識が向けられた時感覚として受け取ることができるが
自分自身に向けられた時は意識ではわからないです。
ふ そういう時どういう自分なのかを言葉にして下さい。名前がないけどモノはあるというセンサーを残して自分をみてください。
ふ 異なるエネルギーの違いを常に感じ取ります。そして、次の感覚 次の感覚ということで
昔のひとがいう次元というのに当てはめないででなく、(その感覚を)真実として拡大していくのです。
もっと自分になって、もっと自分になって、宇宙になっっていきます。そうすると空というものを感じる次の世界が始まります。
自分を知るために人(他人)がいてくれます。自分を知るために自分がいるだけなら自分をしることはできません。
神が周波数を下げていろいろなモノになることで、物質世界が始まりました。(それで)神は神を知りえるのです。周波数を上げると宇宙の根源へ近づいても繋がることはありません。
(というのも)この地球は宇宙から見れば特殊なのです。そこに我々がいるのです。
3歳児のようなもので、それがああだろこうだろ言っているのです。
この3歳児の空間に入ってみれば解ります。(このレベルでは)宇宙の根源など解り得ないと思ってください。ここでの宇宙論は三次元の地球的宇宙論なのです。
(であるならば)ここで自分が変化しながら、知りたい知りたいと想いながら最後の瞬間にカラダがパーっとなくなって終える時知りたい知りたいは爆発的に行くのです!!
三次元で知りたい知りたいと想い、次の次元でボーンといった時は結構面白くなっています。
そこでその境地を味わって死んでいきます。
(成果を)残すことに意味があるのではなくて、死ぬ瞬間どんな境地であるかなのです。
自分自身が次々とその先へ向かっていくには、自分だけで次のきっかけにならないのです。
提示して貰えると知ることを求められるようになります。
わたしがわたしを生きるだけならそんなにたいした問題ではないのです。
文責Waka
前稿とともに文となし、意によって簡略したところもあります。よろしく斟酌されたい。