わっぽー

スピリチュアルカウンセリング、ヒーリング

喪主になり、家長になる心の拠り所 ・ 受け継ぐ心

これは、私自身のことではなく、友人でありクライアントの一族に起きたことです。

 

二年半前のお父様、4年前に弟さんの最期に立ち会わせていただきました。
亡くなったお父様は、親御さんはもちろん、ご自分のご姉妹、姪っ子甥っ子も同じ敷地に住めるようにし、困ったことが無いかと面倒を見、一族を大切になさる方でした。

先日その友人ご姉妹のお母様が亡くなりました。
その日私は新潟に向かっている新幹線の中で、お母様死亡のメールを受け取り、あまりの突然の事で驚きました。お母様の死に立ち会えよう神にもお願いし、姉妹にもお願いしていたからショックを受けました。後で分かったことですが、立ち会う以上のお役目が自分に有ったのでした。

 

その日の仕事を終え、日本海をどうしても見たくなり、新潟万代橋から出ている市内観光バスで、日本海に向かいました。
海の向こうに佐渡ヶ島が見えます。

数か月前に、姉妹とそのお子さんお孫さんと一緒にお母様も目の前の佐渡に旅したと思い出し、あそこに行けたんだとお母様を忍んでおりました。

 

神の計らいは、お母様とお別れのチャンスを与えてくれました。
新潟出張のなか日、東京に帰って人とお会いする約束があったのです。そのお約束をキャンセルさせていただき、その日お母様にお会いしお別れをしようと思ったのです。
先方との間をつなげてくださったTさんには大変申し訳なかったのですが、ご理解を頂き、即座に動くことができました。

 

ご遺体のお顔に耳を近づけ、お疲れ様でしたと言葉をかけさせていただくと、『はあ~~』とため息、、、えっと想い、なんかお言葉がありますかと伺うと、やはり『はあ~~』とため息。

一寸場を離れ、もう一度近づき耳を傾けると、やはり溜息『はあ~~』

ご姉妹にため息が聞こえると伝え、一緒に退出しました。

ご姉妹お二人ともチャネラーなので、話は伝わりやすいのでそのままお伝えして、何かため息の元があるのでしょうと話していました。
お亡くなりになった経緯を聴き、明日朝早くに長岡に向かうので帰宅しようとした時、どうしても見てもらいたいものがあるとお誘いを受け、ご自宅に。

何度も訪れていたご実家。
8月下旬にもうかがっていたので、お母様のお元気なお姿は瞼に焼き付いていました。

玄関を入った瞬間、主を失った家はこんなに朽ちるのかと驚くほど家に生気が無くなっていました。
「見てもらいたいのは、甥っ子が腕にしていたパワーストーン。おばあちゃんが亡くなり、みんなが集まった時あまりにも邪気が出ていたので、塩詰めにし、家の敷地北西に置いてあるもの」と言う事だったので、日没近くでしたが、拝見しました。

その指示をしたのは、妹さん。もちろんチャネラーです。
プラスチックのラーメンどんぶりにピンク色の岩塩の山ができていました。

邪気の対処以上の何かの意味があると想いましたが、それがなかなか読み取れません。
自分が感じた気になる事をそのまま表すと、家の変化、パワーストーンの処理を指示した妹さんの言葉と拘り(玄関からではなく裏口からその場所に置く事)、喪主になるお姉さん、家長が変わるという事。

 

家の意識と家長となる人の意識を合わせる作業、そして、場を守る。
その後何かをする・・・・・とコンタクト!

 

とにかく今晩出来るは、「何かをする日」を決めました。
そして、お姉さんが喪主をする心構えをするお手伝をし、次の時代の家長となる指針を意識する事をチャネリングで受け取りました。
この時、お姉さんが「はぁ~」とお母さんと同じため息をついたのです。同じ音でした。
お母様のため息は、娘たちのこれからの大変さを想ってのため息だったのだろうかと、思い返していたのです。

 

その「何かをする日」まで、塩を敷地四方に置いていただきました。

 

新潟の仕事が終わり、祭壇にお参りに伺ったとき、ピンクと白い花に囲まれ、高貴な雰囲気のお葬式だった様子が浮かびました。
お客様がたくさんいらっしゃっても最後までおもてなし出来るご用意も、お母さんが望んでいらっしゃった事を全てお二人が実現していらっしゃいました。
お帽子がよく似合うおしゃれなお母さんの人生の締めくくりの舞台だったのです。
これらを一つ一つ整えて行かれたのが、喪主であるお姉さんとサポートの妹さん。
お見送りは、お母さんがこうしたかったであろうことの満載でした。

 

生前、お体が少しづつ不自由になって行く日常でも、お二人がささえながら、自分たちの楽しみは続けることで、互いが共に生きる事をなさっていました。
お二人は、チャネリングを特別ではなく、お母さんの心の奥を感じ、お母さんの意識とは別の魂の意図を観て、お母さんの言葉から出てくるマイナスを、ちょっとづつ感謝と幸せの言葉に引き寄せていらっしゃいました。
それは同時に、日常の介護によって起きる、ご自分の心を広げる事にも使っていらっしゃいました。
善だけでは人は生きられません。心の奥に沸く想いは闇もあります。偽善では、何の解決にはなりません。
自分の心に沸く想いも、お母様に沸く想いも内包しながら、お姉さんの腕の中で息を引き取られたのでした。

 

感動です。感謝です。

 

その後何かをする。と言う「何かする日」が来ました。

お宅に伺います。家はお通夜先日に伺った時とは違う雰囲気に包まれていました。柱も壁も、元気なエネルギーで溢れていました。
お母さんがご存命中と違った、若々しく、開かれた感じを受けました。

神事と言えばいいでしょうか?
松葉、ご家族の身を削いでいただいた爪、何かの文様・・・・・これらをお焚きあげするのだと薄ら感じながら、具体的なことはその都度聴きながら実行します。
聴いているのは誰なのか、それを断言はできません。けれども、お姉さん妹さんが強い直感の持ち主です。ご自分の魂が許可しない事ならば、今回の事は形になっていないだろうと確認しながら、一つ一つを形にしていきます。
ドンドンエネルギーが高まってくるのを三人とも感じ、緊張感が増していきます。

 

松葉をお庭で拾い集め、丸い素焼きの盆にお焚きあげの準備をします。
問題は何かの文様。・・・・・丸が幾つか浮かび、家紋が浮かび、それをどう組み合わせるのかをお猪口を置きながら創っていました。

真ん中に大きな丸、四方に四つの丸、真ん中に家紋が入るはず!!
そう思って伝えたならば、ピッタリの家紋がありました。

 

その紙を大地に置き、上に素焼きのお盆その中に松葉と爪、素焼きの周りを聖水でぐるりと円を書くように描き、お焚きあげを行いました。もちろん場所も指示通りです。

すべてが緊張の中、終了したのですが、くつろごうとしてもくつろげません。

先ほどの紙をもう一度持ってきて、何かするはず。
ここで、家長として信念を表すことになりました。
ご両親から受け継いだ一番大切な心、これを、家の理念として、形にするという事でした。
四つの円に文字が入る!それを行って今回の神事が完了するという事でした。

お姉さんが受け取った、お父さんお母さんの想いを文字に表します。
ご両親お二人が、子供たちや孫たちを育て見守る時の大切にしている信念とでもいうものでしょうか。
家長となったお姉さんに浮かんだお二人から受け取った大切な言葉

 

 

(ご本人の言葉です。)

心・・・揺らがない中心となる覚悟を持つ

智・・・大いなる智慧を使え

慈・・・偽善と潔しの対立も内包して溶ければ大いなる慈愛
   (私がこだわっていた潔しは小さいものでした)

強・・・強風に折れないや柳のしなやかなしたたかさ

2013092012140000

 

 

 

これですべてが終了しました。

 

本来このような作業は公開しません。
けれども、今回はとても意味があったように想いましたので、ご本人のご承諾を頂き、ここに紹介させていただきました。
大きな一つになる時、大いなる意図が中心となり、それらが、エネルギーの渦をうまく調整し調和してくれるのだと想います。人が亡くなると、心にも生活にも嵐が吹き荒れる事があります。
そんな時にも、その人が生きてきた大切なこと、自分たちが受け取ったことをもう一度認識する必要があり、それを形にすると、家族を守るエネルギーになるのだと実感しました。
このお守りはご仏壇に入れられました。

 

あるクライアントからのコメントです。

偽善と潔しは対立軸ではありますが
紙一重かもしれません。
人間は善であろうとし偽善として現実を混合すれば自らの暗部を隠そうとし
潔しは価値を超越したように観えて、価値の肯定即ち自らの保身となるでしょう。
慈しみという現実を超える感覚即ち狂いを認めることが
二者の対立を超えた生き方を示すものでした。

筆者と神との生死を超えた真実の対話に、今世”共に在ること”を励みとし
全うしたいと決めました。

 

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