3月貨幣博物館に行き、人が生み出したお金のエネルギーの流れを味わいました。
今回まったく急に国会議事堂に行き、国(大きなコミュニティ)の色々なルールを決め、予算を決めている場所に行ってきました。
昭和11年に完成された日本の建材と日本の技術で建てられたものだそうです。
と言うことは、戦火を潜り抜けたということです。
明治の意志を継いでいるという事でしょうか・・・・。
踏江コンタクト
政治とはお祭りである
人が 一つの人生でできることはわずかなこと
人々に大いに影響を与える立場に立ち
何かの役に立とうというもの
人を利用して 己の自己顕示欲を満たそうとするもの
大きなお祭りが好きなもの
これらを使い もっと大きな流れを創ろうとするもの
もっとしたたかに 人がこの世を征服できると思っているものたち
そのものたちも 大きな流れに乗っている
本人の意識とは別の世界で
冨美江コンタクト
優位ある集い この場は広い
その所には 大きな勘違い
勘違いは曲り 揺れて
坂は逆さなり
上は下となり
そして 上となす
下を下として 扱わず
常に 国民は
上ありと 示せば
国民は主と 勘違い
そして 国政をつかさどる者は
国民の負となることをしないと 勘違い
しかし それは 逆なり
それが 彼らの 知恵なり
そこに立つ者
裏で動き 裏で生きる
それが この世界を創る醍醐味なり
* * * * *
コンタクトは国会に入る前と、出て、落ち着いた環境で受け取ったものです。
流石に国会内では、受け取ることはできませんでした。
幾重にもエネルギーは重なり、せめぎ合い、ぶつかり合っていました。
当然です。現実に各党派がバトルしているのですから。
はっきりと言えることは、あの箱の中は、現実の人々の暮らしとは異空間の場で、ここで、現実を生きている我々の生活に大いに関係することを取り決めているのだと、改めて感じました。
コミュニティが大きくなり世界を相手にした政策を決めなければいけないから、箱物で覆いを創り、素で語り合うのではなく大義名分で戦う場が必要なのだと思いました。
風吹く丘で、みんなで座って、さあ今後を決めようと、行ったのならば、どんな意識が生まれ、どんなルールを決めていくのだろうと、想いをつむいでいました。
福島の皆さんが、ここで、予算を決めてくれ!!
ここで国会を開催してくれの言葉が思い出されます。
何かが分かったわけではありませんが、多くの人が集まり暮らしていくには、あるルールが必要です、予算が大きくなればなくほど、大きな流れのかじ取りを誰かがしなければいけないのでしょう。
それは、今までの考えで、誰かではなく、何かが舵を取ってると感じてしまうのは私だけでしょうか?
あの石の建物の中で何百年と繰り返し何かのパターンを行うような気がしました。
伊勢神宮・出雲大社の式年遷宮 今年両方の神様が新しいお社にお入りになります。
20年に一回、60年に一回お住まいを変える。
古いお社は廃棄されるわけではなく、次の場所で息づいていく。
なんて日本らしいお祭りの仕方だろうと思います。
現実的ではありませんが、風を感じる場で、一人一人の魂からの智慧を出せる場を造りその場で集い、知恵を出し合う。
そんな景色を命がある間に観ることができたら、大きなお土産話になります。
それはもう素晴らしいお土産話に!!