23日から24日にかけて小さなショックをもって理解したことです。
『ねじれ』を永遠に持ち続ける場合があるということを!!
人のねじれは、育つ時に創られても、生まれる前からあるにしても、かなりの人が持っているものです。
今私が言葉にしているねじれとは、ジャッジすることです。
決めつけといってもいいでしょう。
判断とも言います。
その判断の仕方が、何かと比較し、常に何かの価値をおくための判断は、ねじれの原因となり、人の言葉は自分の解釈と変換され、相手の真意と違ってくるでしょうし、見えているものさえ自分色に変換しています。
それが人
魂を求める人は、自分自身を求め、自分の真実を追求していきます。
自分の中にあるねじれを開放することは、もっと奥の自分を見つけるためには必要なことです。
そのねじれを一枚一枚解放していくのですが、中途半端なねじれ開放は、ねじれを奥に潜り込ませ、苦しさだけを味わい、苦しさから抜け出すことができない。
ねじれをもっと起こし、耐えられない不都合になり、追い込まれた時、ねじれは一気に解消されるだろう。
ごまかしのない自分になれるだろう!
体も同じことと、ある整体の先生から教わった。
ねじれている方向にゆっくりねじってあげると、ある瞬間ぱっとねじれのない状態になる。と!
ただ、サポートする側にもねじれがあったなら、かなり複雑であろう!
そう思うと、ぞっとします。
常に、自分を観つめ、知るを求め続けるのみだと知った日になりました!
自分のねじれを観つめ、人に寄り添えるよう。