忘れられない娘のケーキの味

娘が彼のお母さんのお誕生日の為に作った小さなケーキ
そのおすそ分けを彼と二人で持ってきてくれました。
久しぶりに会うので食べたがっていたお魚のチラシ寿司を作りささやかな昼食をご馳走し、ここのところの怒涛の苦労をねぎらいました。

怒涛の苦労を少しお話しすると、彼は26歳 お母さんは1年半前に脳血栓で倒れ、今も車いすの生活。
先日看病疲れかお父さんが倒れ一時危篤になり、今ちょっと小康状態なので、顔を出してくれました。難病なので、今後も注意が必要ですが。。。
兄弟がいない彼は突然両親の病気を看ることになり、会社を休み、病院の方針を聴きながら、目まぐるしく変わって行く状況の中、自分の気持ちを保つのがやっとであったろうと想います。娘はその彼を支えるので、書類上の事、食事など自分が出来る事をし、今を生きていました。
今後の事を考えるより、今しなくてはいけない手続きや人との関わりにより、未来はちょっとづつみえてきたので、一時期のどうしようもない状態は脱却していました。また、人柄のおかげでしょうが、周りの人々が沢山の支援をくださっていることに感謝しながら、切り開いている様子でした。

 

今後お父さんがどれくらい回復するのか、お母さんの生活は??
そんなことを想うと立ち上がる気力がなくなるでしょうが、現実は現実。現実を観ながら、しょうがない!出来る事をするだけ!と言葉をかけ続けていました。
今の状態の中でも、ケーキを創る二人が微笑ましく愛おしいです。

 

娘は、「お母さん死ぬときはぽっくり逝ってね。」と言います。
私もそれが願いなので、「そうね。きっとそうなるね。」と、私の死後必要な書類の場所を教え、
次に、「私やお母さんが死んだらお墓ってどうするの?」と聞いてきました。
死が全く遠くにあった時には出てこない言葉です。
形がどうこうではなく、死を身近に感じ、真剣に死と向き合い、恐怖を味わいながら、周りに感謝しながら一つ一つを対処している姿勢は、真剣に生きる姿勢となっていました。

 

先日両国のセミナーを行いました。

その日最後に行ったワークは、もし、大洪水や津波で水にまきこまれた時自分はどうするかと言うワークでした。
人は、究極の状態で初めて自分を知る事があります。
今のご自分を知るためにも、今後どう生きるかを考えるためにもコンタクトによって行ったワークです。
彼のお父さんが危篤になったのもこの日でした。

 

私自身も、娘がおなかにいる時、夫が突然体がマヒし、命の危険がありました。
病気になった本人、病人を支える側の人間。
それぞれが体験する世界は違いますが、命と生きる事、自分自身を知る事には変わりありません。

 

あまりに早い年齢で体験せねばいけない二人を観て、魂の進化は確実に起きていると想いました。彼らは、私たちの年代とは違う感覚で今の現実を受け入れ対応しています。

その彼らを私は私が出来る事で支援していきたいと想います。

娘が最近よく嘆いていた、洗濯機の動きがわるくてイライラするけどお金がなくてまだ買えないと言っていたことを思い出し、ドラム式の洗濯機をプレゼントすることにしました。それくらいしか彼女のストレスの開放のお手伝いはできませんが、これだ!!と想いつきました。
私も、主人の病気と子育てとの生活の中で、家電製品に癒されていましたから。洗濯機がスムーズに動くのを乳飲み子を抱えながらちょっとワクワクしながら眺めていましたから。

 

何が幸せかは分かりません。
21歳の娘の心が元気でいる事を常に願っています。
彼女が創ったケーキは、甘すぎず、上品な味で、見栄えもなかなかでした。
写真に撮らなかったことが悔やまれますが、この味が出せるのならば、大丈夫だと安心しました。

二人はその後花束とケーキを持って、彼のお母さんの元に向かいました。