そんなはずはない、まだ1歳半で火葬場には連れて行っていない。
私の記憶を総動員した。
そのおじさんのお母さん(妹のお姑さん)の時、確か5歳近くだった。
同じ家で葬儀が行われた。
きっとその時かもしれない。
娘曰く、お箸でお母さんと一緒にお骨をお箸で挟んで白い入れものに入れた。
そのシーンはハッキリとしており、描くこともできると。
それで良いと思った。誰のではなく人のお骨を拾った。
それが5歳児の記憶。
最後は誰かの骨ではなく、人の骨として地球に返されるのだから。
その後、話の流れで、お母さんに何かあったらあなたが後始末お願いねと話す。
えっー!!
21歳でこんなことを言われるのは迷惑だろうが、現実だから仕方がない。
彼も、本当に何があるかわからないから・・・・親族で突然車いすの生活になったからがいらっしゃるから、実感がこもっていた。
そんな話もしながら、未来への仕事の話に話題が移っていく。
段々大人の会話ができるようになってきた。大人の会話、それは、現実を踏まえた魂の会話。
娘には、記憶のない時代があると話していた。何かあるのだろう。
自分自身の記憶も、流れるようなものではない。
一コマのような記憶しかない時が多い。
過去世や、クライアントの今世の過去を観るとき、一コマのような見方はしない。
ご本人の記憶とは違うところで観ているのかもしれない。観たシーンを話すことで、ご本人が忘れていたことを思い出されることもある。
私たちチャネラーは、人生の流れを読み込むようにしているからだろう。
娘がクライアントとして今世を読むようなことになったらきっと面白いだろう。
一度だけ、就活の時、会社を読むので、彼女の人生を観た時がある。もう忘れたけれども
記憶はその人にとって都合よく書き換えられることは多い。
記憶ほど不確かなものはない
でも、文明は記憶や記録によって成り立っている。
観えているもの以上に記憶は曖昧なモノなのに、と記憶力が劣っている私は想ってしまう。
飲んで帰ったら、娘から電話がかかって来た。
彼もいっしょに気遣いをしてくれたようだ。
段々、守る方から守られる方になってくる。
なんだかこそばゆく、ありがたい。
今日の記憶は、娘と飲むと楽しかったという記憶なるのだろう。