薄く広がる絶望感 それでも人は立ち上がる

8月強烈に暑いです。暑く暑く色々なものが溶けそうです。
8月、今まで以上に人生が大きく変化していくように想えます。それは、自分自身が表面に表れてくるからです。
気が付かず、自分の我が出てきます。
その我は、奥の個性として眠っていたものだったりします。
それに気づかなければ、知らず知らずに自分のパターンを以前より強烈に表わしているでしょう。
昨日、私の中にあるのもが浮上しました。
仕事で緊張感を持ち神に祈り、事の推移を見守る事柄が起きました。
うまくいったと思ったら、どんでん返しが起き、でもこの最悪な状況はもっと大きな奇跡が起きるかもしれないと神の意図を感じていましたが、当事者がその緊張感に耐える事が出来ず、目先の考えで動き、振出しに戻ったのです。
急展開に唖然とし、絶望したあと、虚無に入っていきました。
全ての仕事に対して、心が重くなり、丁寧に寄り添っても徒労に終わるような薄い絶望感が全体を覆っていました。

その自分に違和感を感じ、TOMさんと話をします。
『その瞬間だけ!!
これが続くとかではなくその瞬間だけ。』
その言葉で、ふっと気持ちが変わってきました。自分がいる場所が変わってきました。
しばらくすると、先ほどの虚無も薄い絶望感も全くなく、起きた出来事さえ遠くに遠のいた感じです。
静かで、暖かく、明日どんな事が起きようとも粛々と丁寧に関わるだけの自分になっていました。
人は変わる事が出来ます。
そのヒントを、人の言葉や、神の言葉や、transcendensse(超越)から受け取る事が出来れば、人生を最期まで楽しめるののだと思います。
今朝母と電話で話しました。
桃を送ったと。
声が弱く、具合が悪そうだったのですが、話をしているうちに元気になっていきました。
87歳認知症が進んでいます。自分でもおばあちゃんはもうだめだ。と、言葉にしています。
分からない事が増えている、出来ない事も増えていると話します。死にたいと思ってもお迎えがなかなか来ない。でも朝5時半に起きて、少しでもおかずを創り、90歳を超えた父と調子の悪い兄の食事の用意をします。多分台所はかなりの状態でしょう。
食べさせてやりたい。それが母の願い。ずっと食に携わってきた母は、野菜も全て自分で作り、土地があればそれを生かすのが神様へのお礼と言って、土を愛した人でした。今は腰を痛めたので、家から余り得る事が出来ません。
草でおおわれていく畑や庭を見て、ため息をつきながら、若いものは・・・・まあ、出来る事だけだな~と言います。自分の部屋を小屋と初めて言葉にしました。改装する前の25年前の風景を言っているのです。認知症は進んでいます。それでも家族の為にご飯を作っています。
人の限界と、人の生き様を見せて頂いています。時間を創り、自分の体力を調整し、逢いに帰ろう。
奥出雲に帰ろうと今日思いました。  明日から新潟・・・調整せねば!

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