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母の本音

昨日、ろっ骨を骨折して入院中の母に会いに帰郷しました。
昨日朝5時30分出発
その時間から電車は混んでいました。
皆さん本当にご苦労様です。

 

出雲市駅から、宍道で乗り換え、出雲三成まで

かわいい電車を乗り継いで、7時間かけたどり着きました。

 

母の本音を初めて聞き、ほろっとしながら、母の生きてきた人生を垣間見る貴重な時間5時間はあっという間に過ぎましたが、私の人生の記憶に残る貴重な時間となりました。

 

 

 

 

 

母の本音
「本当は人が苦手!」
緊張して生きていたのが分かりました。人に甘える事が出来ず、緊張して生きていた人生でした。だから人が苦手だと思っているのです。

誰が見ても社交的で、みんなのお世話をしてきた人です。
父の兄弟が8人いて、なおかつ本家でしたので、年がら年中叔父叔母が、子供や孫を連れて泊りに来ていた家でした。盆暮れは20人くらい泊り客がいたので、食べ物はもちろん、準備も大変、お布団も寝間着も、準備していました。布団部屋や、御膳食器の部屋がある、古い家の嫁をしながら、農協にも努め接客をして、地域の皆さんのお世話をしていた人でした。親戚に毎月野菜を送っていました。小さい時から観てきたので、ずらーっと10箱くらい並んだ荷物を見て、そうするもんなのだと思っていました。

「本当は人が苦手」の言葉、ほんとにびっくりしました。

 

今回、二面性があると言う事を、娘に言えたのは、きっと心が緩んだのだろうと思います。
やっと、人生の緊張から解放され始めたのだと!

 

母が18歳の時、終戦の年に入ってすぐ、熱病にかかり九死に一生を得て、3ヵ月闘病して完治したのです。
が、広島にいた兄が原爆の前に病院勤務中に病死し、神戸にいたおじさんが具合が悪くなり、母がいた実家に避難し亡くなったのです。
そして、終戦後、母親が、過労で亡くなりました。
1年間に3人です。

 

18歳の母の心を思うと、自分の心を大切にする時間も余裕もなく、一番下の4歳の弟の面倒も、日常もこなさなくてはいけない辛い日々、その中での終戦でした。

 

前回、帰郷した時、オバマ大統領の広島での演説を食い入るようにみていた母の姿が思いだされます。

 

その母は、認知症と言われています。

 

実際、記憶がかなり欠落しています。
今回私の事はすぐに分かりました。びっくりするくらいはっきり分かってくれたのですが、今日、昨日会った事を覚えているかは分かりません。
「おばあちゃん、忘れたい事が沢山あって、心がそれ望んだから、全部忘れるようになったのね。辛かったね。でも、良い人生だよね。
頑張ってきた人生だよね。私がしっかり覚えているから、大丈夫。安心して」と伝えました。

母や父を見ていると、生きる事は最期まで容易くないと実感できます。

遠い地で暮らしている娘に、帰ってくれとは言わない母です。

「おばあちゃん、誰かの為に生きなきゃと思わなくていいよ」と言葉にしました。
「わかったよ。でも生きていたら、また会おうね」
と言う母に、またね!と行って帰ってきました。

 

母を見て育ったので、兄が家を継ぐならば、遠くに行こうと決めていたのです。嫁の立場を考えると、小姑は近くにいない方が良いと小学生の時から決めていました。
母が、兄嫁に気を使い、良い姑を精一杯している姿は、娘としては心地よいものではありません。
けれども、家族は互いに気を使いながら暮らしていくものですから、母と兄嫁との絆は時間をかけ創られていきました。

感謝しています。
母が、もう逝っても良いのにいつお迎えが来るやらと、亡くなる前の祖父と同じことを言います。

最近、母親の夢を見る。懐かしい気持ちがいっぱいにになるんだととも言いました。そう遠くないのかなと思います。
ありがとうの気持ちがいっぱいになりました。

今回、元気だったので、ゆっくりと母の本音を聞くことが出来、幸せでした。