今年最後のチャネラー養成講座
講座中に観えてきた白龍 ほんの数分の出来事でした。
何かが来ると思ていたら今日は白龍です。
内容はチャネリング基礎です。
ありがとうございます。
スピリチュアルカウンセリング、ヒーリング
知恵を使って生きる事を求めても、考えが及ばない出来事(想定外)が多く発生しております。
増々チャネリングの必要性を感じるのは自然な流れなのだと想います。
感じる力、チャネリング力を伸ばし、生きる力をつけて頂く講座、
わっぽー 縄文式チャネラー養成講座基礎コース第8期を募集開始いたします。
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チャネラー養成講座基礎コース
千葉 土曜クラス・平日午前スタートクラス 各1
新潟 土曜クラス 1
チャネラー養成講座アドバンスコース
千葉・新潟 各クラス1
募集開始いたしました。
内容はこちらをご覧ください。
チャネラー養成講座の準備は昨晩で来ていたので、ちょっと時間を作り自分の絵を画いていました。
今朝9時ころ、水道の水が出ない・・・・・
そっ、そう言えばそんなチラシを見たような。
ポンプの工事がはいるというチラシ。
新潟から帰ってきた日、ポストに入っていた沢山の郵便物に交じって・・・
過去を振り返ってもしようがない。
水を準備しなければ、、、
手洗い、飲み水はあるし、買ってくればいい。
トイレをどうしよう!!
エレベーターの前に大家さんが立って作業を見守っていた。
水買いに行きます。と伝えたら、
「頑張って、時には運動も良いよ。。後は汲むしかないかな」
そうでした、汲めばいいのです。
大家さんに聞いて、初めて、このマンションに井戸水がある事を知りました。
バケツでトイレ用を汲んで準備OKです。
このクラスは、福島や岩手からもいらっしゃるので、分かっていても変更はしませんでしたから、違っていたのは、お風呂の水を流さなかっただろうと言う事。
でも緊急はいつ起こるかわからないので、習慣を変えようと想っています。
全てが、ありがたいです。
雨が降って来たので、雨水も貯めるってありかしらなんて思ったり・・・
そう言えば子供の頃あちらこちらに雨水をためるタンクを目にしていましたね。
チャネラー養成講座基礎コースで昨年からテーマとして学んでいるコンタクトの一つです。アップする必要を感じここに表わしました。
怖かろうが平気だろうが、己を見つめる言い訳にはならない。
知るということは、鳥肌が立つほど怖い世界を開いていくのだという自覚をするしかない。
あなたは、己の冷酷非道さを知っていますか?
そしてそれを認めることができますか?
あなたは、己のどうしようもないだらし無さ、無知さ、無力さを認める勇気がありますか?
力を抜くと聞こえてくる。
それも自分!いいじゃないか!!自分らしいじゃないか!!
すぐに聞こえなくてもいい。
自分らしい言葉であればいい。
かなり厳しいコンタクトですが、人間はいるだけで自然を汚し、争いをしています。運動会も、討論も。それを認めるところから始めると、それが自分だと認める事が出来、力を抜き、精一杯生きる事がしやすくなります。
精一杯生き切るそれが後悔の無い人生だと想います。
昨日の続きです。
次の週のチャネラー養成講座基礎コースの野外ワークに参加した昨日と同じAさんのお話。
養成講座の野外セミナーは木と対話、地場を感じる、岩との対話、古代遺跡に行き土偶や土器をリーデイングします。今回は、地場を感じ木と対話するワークでした。
Aさん最初は元気で、木々と戯れていらしたのですが、「今の楽しいエネルギー場から、もっと深く細やかなエネルギー場に入ってみてください」とアドバイスしてから、木肌が気持ち悪く想えるようになり、そんな自分が嫌で耐えられないと言い始めました。
参加者全員木のエネルギーに添う体験ができたので、室内ワークに切り替えます。
Aさんの順番が来たとき、木肌が気持ち悪いと想う世界にもっと入ってもらうと、「自分自身の肌が気持ち悪い、どうしようもなく具合が悪くなってきました。」と言葉を出します。
読み込んでいると、肌はドロドロになり骨も溶けている感じです。
大やけどかも知れない、大きな病気かもしれない。・・・
隔離されているのを感じました。
本人は、気持ち悪さと絶望感・嫌悪感が起き、自分を直視できなくなって来たと言葉にしています。
夢も希望も無い、絶望だけの気持ちになり、体が動かなくなっていました。(本人談)
私が観たのは、顔、体中包帯で巻かれた大勢の患者さんの隔離病院の様子でした。
そのままでは、苦しいだけなので、何とかしようとアドバイスします。
固まっていたからだが少しずつ動き始め、Aさんは、自分の状態を仕方ないと諦めています。
絶望感は深くあります。
世間の人々から嫌がられ、迫害を受けています。
その悲しみは耐え難いのもでした。
家族も同じように迫害を受けていました。
その迫害に怒りを感じています。
その人生のその後を観るより、木の肌が気持ち悪いと感じた事と、深い絶望感と、自分が迫害を受けて、その迫害に対し怒っていた事との関係を読んでみます。
世間の見方に怒りを持った時、その世間の見方と同調することになり、醜いからこんなに迫害されるという想いが膨らんでいることに気づいてきました。
周りの患者さんも汚いとか醜いと想っていました。
自分の事は直視できません。(本人談)
だから、木肌のザラザラ感に醜さを感じ、ねじれに醜さを感じてしまい、嫌気がさし、吐き気までかんじたのでしょう。
それは神への冒涜です。木々の自然なねじれは醜さではありません。
人が火傷をし、ただれても、それは自然なこと。どんな状況で体に変化が起きてもそれは自然な事。
醜いという概念は自然界にはなく、人間が創った概念なのかもしれません。
傷ついていれば、猫や犬はなめて傷を癒そうとします。
けれども、人は観た目で判断し、違っている形を排除しようとします。
Aさんの話の戻しましょう。
Aさんは気づきました。
どんな状態でも生きているだけで感謝!だと気づきました。
自分の状態を認めても、周りの人は認めてくれないのだと。
それさえそれで良いのだと。
涙しながら、形は醜くても、自分の本質は醜くない。
いや、形も醜いのではなく、ただ、この状態だけだという事に気づいたのです。
どんな状況でも、生きているだけで感謝と気づいた時、喜びが溢れてきました。気持ち悪かった木が愛おしく、過去の変形していた自分の顔も輝いて観えたのでした。気持ち悪いと想っていた同じ病気の患者さんもイキイキと輝いて観えました。(本人談)
そう言えば、思い出しました。
Aさんが、木と対話していた時、ささくれが酷くなり、血が出始めていました。
体の記憶はどれだけの規模なのだろうと驚嘆します。
体だけではありません、人とは、知れば知るほど、膨張し、はるかかなたまで存在している神のように想えてきます。
意識だけが小さく固く狭い世界に閉じこもっていると。
ご本人に全文を確認もらい、感想を聞きました。
「2週にわたっての体験は、人生の根本が変わるほどの体験でした。ガラッと変わりました。変な言い方ですが、死に対しての感じも変わりました。私の人生、後悔が無くなった感じでしょうか・・・
どんな状態でも生きているだけで感謝だと心の奥から想えます。ありがとうございました。
そう言えば、ささくれが酷く、ザラザラだった手は綺麗になりました。」
今回のレポートは、Aさんの体験と変化を著わしました。
その体験に参加されたほかの参加者の一人一人にドラマは起きていました。
それぞれのドラマは死と言う幕が下りても続きます。
はるかかなたまで。