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昔々の物語 奥出雲のおじいさん

もうとっくに天に昇ったおじいさんの事を思い出します。

明治33年生まれの祖父は170センチ以上の長身の、おしゃれで、よくベレー帽をかぶり、カシミヤの臙脂のチョッキを着、スーツはあまり好まず、ジャケットズボンの組み合わせを楽しんでいた、おじいさんでした。

周りの景色を見渡せば、中国山脈にかこまれ、人もまばらな過疎地で、その当時テレビチャネルは3つしかありません。山が深く、広島からの民放も松江からの民放も届かなかったのかせれません。

そんな山奥で、なぜか祖父はテニスもバイクも乗り回す、当時ナイスガイだったと、本人からよく聞かされました。

そんな祖父が晩年孫に話してくれたのは、昔々の物語でした。

我が家は、屋号を下鍛冶屋といいます。隣が、中鍛冶屋、その隣は上屋です。

そう昔は加治屋だったのです。

おじいさんの若いころ、刀鍛冶をしたことがあると言っていました。

むかし、奥出雲は砂鉄がとれ、たたら製鉄の盛んなところです。ヤマタノオロチ伝説の発祥の地で、実際に、製鉄はたくさん作られていました。三種の神器<むらくもの剣>も奥出雲産です。(きっと!)

私:   どこでどういう風に造っていたの?

祖父:  川だ!川で砂鉄をとって、融かしてたたらにして、里の問屋に牛引きばしゃで運ぶ。

その問屋筋が、母の実家で、親せき筋らしいのです。

祖父:  高温で砂鉄を溶かすからやけどが多く、あの山の上にあったお城の殿様が、医者をたくさん呼んで、作業をするもの達の治療に掛らせたんじゃ!

だからここら辺は昔から医者が多く、教育に対しても考え方が進んでいたんだぞ!

早くから小中学校の、給食、制服制度があったのも、そういう流れがあったんじゃぞ!

私:   お医者さんはどんなところに住んでいたの?

祖父:  裏の畑は石垣の上にあ~だら~あが(あるだろうが)、あの石垣は良い造りだわ~、その上に大きなお屋敷があってな~、そこに住んでおらっしゃんたんじゃ。その医者さんは、御殿医でな~、お城の医者さんだな。

そこが火事になって家が全焼でなくなってから、どこかにいかっしゃたんだと!(行ってしまった)

時代が分からなくなってしまうけど、おじいさんが話すとそこに居るようでした。

畑を掘ると、錆びた鉄がザクザク出てくると父が言っていました。

井戸の水は、鉄分が多いのも事実です。

昔の生活を懐かしく思い起こされた今日でした。

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