奢りについて

私はよく奢りを意識します。

それは立っている足元から自分を崩すものですから、注意しています。
そして、次に気をつけているのが、甘えです。
この二つが浮上してくると、自分がざわついてき始めます。不安定になり、どこか被害者的な考えが多くなり、摩擦のない楽な状態でなくなります。
トラブルが増えてきます。
同時に、仕事が入らなくなります。
カウンセリングをするものとして、自分のこのような状態は、お受けになっている方に影響を与えますから、まず内観をして何が湧いて来てるのかを見つけ出すようにしています。当然傍にいる神様からも指摘を受けていますので、分かりやすいですし、奢りや甘えや、被害者意識が増幅してくると、神の声が遠のきます。
チャネリングのない日常など考えられません。
ですから、自分の状態にも気づきやすいです。
このように自分が体験したことから、皆さんにも奢りと甘えと被害者意識を観つめる作業をしていただいていますが、人の奢りは分かりやすく指摘しやすいものです。
この指摘が次の奢りを創ります。
人の奢りがよく観えるのならば、それは自分の奢りが増幅しているからだと想います。
常に、人は自分の鏡です。
自分の奢りが気にならない時、人の奢りも気にならないのだと想います。
あっても、気にならない。

これが良いですね。自分にあっても気にならない。目の前の人にあっても気にならない。そのような時は、さらっと「奢ってるね~~!」「あなたもね~」と言いあえるのでしょう。

でも、楽を求めず、不安定な心の状態を求めている場合、この二つは、いえ、被害者的な想いも含めこの3つは、不安定な心の状態を創ってくれるので、必要な要素です。
そのような場合、奢りはなくてはならないものです。
それによって強く在るという事をなさっている可能性がありますので。

生きるスタイルは人様々。

楽を求めている方ばかりではないと発見でき、気づけた奢りの在り方でした。

 

ここまで気づいたのですが、私はやはり、奢りや甘えや被害者意識はチャネリングによって、その領域も内包しながら数段広い世界へと繋がる事を求めていきます。驕りや甘えや被害者意識を持つことで使われるエネルギーをもっと広がった世界へと誘われるようチャネリングし、智慧をもらい智慧を実践するエネルギーに使うことをします!!皆様にもお勧めいたします!