今朝想う事  歩みを進めるために距離を置くことも必要

「歩みを進めるために距離を置く」

CAJ9DK9K子育ての時、自分が介入し過ぎないように本人の意思を尊重して行動した時、本人は孤独を感じ、母に頼れないとあきらめ、自分で判断を始める。

でも、心の寂しさはいつまでも残り、ある時はその寂しさがトラウマになったりもする。

でも、私自身もあったことだが、親から言われた冷たく突き放された言葉が、その後の自分の支えとなり、絶対に負けないと根性で頑張れる自分を創っていた。

クライアントに対し、時々距離を置かざるを得ない時がある。

もう人生をあきらめることを意識が望み、そんな言葉が出るとき、距離はできる。

別に何もしなくても、クライアントが望んでいることだから、距離は自然にできる。

あえて、距離ができる前に、私の方から距離を置こうと提案することで、生きることをあきらめる方向から、距離を置こうとしたのは、あなた(踏江)と言う形に変える事がある。
人は、自分が決め自分が歩みだしたことは、流れに乗りやすいが、人が先に形を提示したことには反発するもの。生きることをあきらめにる方向に反発してくれるのならば、と私の魂は判断するのだろう。速い動きで、相手が言う前に、こちらから距離を置きましょうと形にしている。

 

こんな自分についていくのは結構大変。

でも、生きることは、孤独で、大変で、素敵な瞬間の連続。それを知るまで生きていてほしい。

魂も私の今の意識もそう願う。

 

子供の時から眺めていた、さるまさ山(奥出雲町)。実家の裏山からの写真