コンタクト集」カテゴリーアーカイブ

ひま語録 5/22 「大きくなる事を怖がるな」

6歳児はますます開かれていきます!

みていて気持ちよいです!

メッセージも魂の応援歌ですね!

皆さん「大きくなる事を怖がるな」を実践しましょ!
大きくなりましょ!開かれていくことを楽しみましょう!!

 

ひまと海と太陽と…

NEW !
テーマ:
海が見てくれてありがとう

もっと見て
もっとこっちにきて
太陽が言ってた
私の力を浴びてくれてありがとう
お日様はね
佐渡に行くなら
私の力をまず浴びた方が良いよ
元気がでるから浴びた方が良い
って言ってる
あなた達はいつも私の太陽をいつも浴びててください
天気が良い時だけで良いから
雲や雨の時は雲が邪魔をして、お話が出来ないから
私の力は大きいから
とても気持ち良い
太陽さんは普通熱い
天気が良い時にひま達も太陽さんに力をあげる
大きく手を広げて、上を向いて、胸から力をあげて、大きく息を吸えば
力をあげれる、笑顔も運ぶの
海も力欲しいって言ってた
待ってるから早く力のポーズしてね
海さんと太陽さんが一緒に言ってた事
「さっきからパワーをあげたり返したりしてるけどすごく楽しいねー」
海を見ると深さと広さと大きさで怖くなり、腰が引けてくる…
ひまは全然怖くないらしい…
「面白いからー」だそうです。
「大きくなる事を怖がるな」
と言われた
それは楽しむ事なのだ
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高校2年生の希望は恐怖の開放 さてどうなる?

 先日高校2年生の個人セッションを行いました。飛行機が怖くて乗れない、それがネックになって修学旅行に行けない、、、それを解放したいと!

始まってすぐにコンタクトを一本受け取りましたが、将来についてのコンタクトだったので、取りあえずそれは置いておいて、過去世を読むことにしました。

🌊大海原が觀え、板一枚に乗っている男の人がいます。目の前には大きな渦が巻いていて、飲み込まれるシーンです。

恐怖で体を固め目をぎゅっとつむり、もうダメだと諦めています。けれども、その渦では死ねず、気がつくと強い日差しの中で漂いながら徐々に衰弱していき死を迎えます。🌊

何がヒントなのか、心の奥を感じながら、もう一度読みます。渦に巻き込まれると思った瞬間、体の力を少し緩めるとどうなるかを本人に聞くと、目を開けて飛ぶ感覚になり怖くなくなったと言います。何かが足りない感じでしたが、この過去世はここまでにし次を読みます。

🌿アフリカの大地   太古の人々のお祭りの最中、大きな鳥が飛んできて、頭を掴まれそのまま空高く持ち上げられます。意識はありますが、もうどうしようもなく、手足は自由でもだらりと力は抜けています。崖が目の前に迫ってきてもうダメだと思った瞬間なんともう一羽現れ餌(本人)を奪い合っています。(このシーンはお母さんも一緒に読んでいました)2羽が戦っている時、掴んでいた手が緩み落下しますがどこかに引っかかり、体を突かれた傷から徐々に衰弱して死に至りました。🌿

こんな過去世を16歳に聴かせるのかと疑問に思いましたが、恐怖の解放のステップだと、この過去世の最初に戻り、頭を掴まれた時、手足を動かし鳥のバランスを崩させることはできるし、最期まで生きようとすることはできるのに、しないのは何故?と聞いたならば、アニメのようで実感出来ないし、ダメなものはダメじゃんと言います。

そこから、お母さんが彼の怪我の話をしてくれました。
3人で話しているうちに、もうダメだと思ってから動物的な本能が出てきて、危険を回避しようとするのにその力が湧いて来ていない習性は、過去世と繋がっているということが分かってきました。
それでも本人は、ダメなものはダメでしょ、あがいても結果は変わらないと言います。

事が起きる瞬間を掴み、最期まで挑む!これはすべての人に必要な事です。彼が自分を生きるには絶対に必要な力です。少し時間をかけ、その力を実感するまでの旅が始まりました。

恐怖の解放は生きる力を掴んだ瞬間に消えるのだと思います。以下は彼のお母さんの5/9のブログです。

テーマ:

高校2年の三男が踏江さんの個人セッションを希望。

理由は「飛行機が怖い。今年の修学旅行で乗る為克服したい」だったが…

同時に起きていた事

先週の水曜日にラグビー部での練習試合で頭を打って少し頭痛が続いていた
土曜日にはスクラムの練習で腕を持っていかれ、右腕が痺れて動かない。
朝から手の外科を受診して、脳から右腕の神経の損傷と言われた。
このタイミングでこの怪我とセッション…何かあるなと感じていた。

飛行機が怖い事、小さい頃から怪我が多い事(骨折は4回している)を含め、2つの過去生を読んでもらう。

共通していた事は…
恐怖で固まり最後はもうダメだと力を抜く事
まさか怪我はしないだろうと高を括る事

そして
今このタイミングで気づくのが必要だった事
最後まで目を見開いて拳を握り自分の人生を生ききるのか?
自分が本当にやりたい事をやる為に何が必要なのか?を本気で考える事
どんな未来の自分になりたいのか?を本気で考える事

「人を助けるがやりたい」と…

怪我をして不自由な右腕を感じ、当たり前に動いていたのがありがたいと感じ
もう少し引っ張られていたらそのまま動かなくなった可能性も言われ、これからの部活をどう考えるのか?

でも色々考えると「モヤモヤする」と悩んでる…

そこで踏江さんから

「その自分を隣に置き、その人にアドバイスするとしたら、そういう状況の人に対して何て言う?」と…

「…自分で決めろ…」

「もう一言!」

「今を取るか?後を取るか?」

痺れた右手で力を入れて書いた。

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その後も、彼の旅は続いています。

少年よ、頑張れ!

ひま語録   2016.5.8

久しぶりのひま語録です。
ひまちゃん6歳になり小学生になりました。

ツバメ

ひまと車庫にいるツバメの夫婦を見ていた

「よく見ておこうね~

来年は見れないかもしれないから」

「?」

「だって事故に遭うかもしれないし

また病気になるかもしれないでしょ」

「嫌な事言うねー」

「ひまは嫌な事言ってるんじゃないよ。

だって来年はわからないでしょ。

だから今年のツバメ、

今ここにいるツバメをよく見るの」

…今この瞬間を大切に味わう…

6歳の小さなチャネラーは真実を伝えてくれた

 

チャネラー養成講座基礎コースでのコンタクト  「あなたのこれから」

昨日のチャネラー養成講座基礎コース

参加者へのコンタクト です。

基礎講座でのコンタクト

ちりぢりになった仲間達が集まって事を起こす時、それぞれの立ち位置に立つ

少しでもズレたならばその事は成立しない
私はそこを任されている者
人がズレる事
人が勘違いする事
人が自分を否定する事
その小さな事が大きな大地を邪魔する要因となる
私に課せられた使命は
間違えない事
皆の私情を外す事
自分の私情を外す事
起きる事を私は知らない
ただその事が起きなければ次が始まらない
その役割を私は選んだ
だから責任がある
力も必要
判断力もなければ事は起こせない
「私とは誰の事?」
あなたであり私である
「事を起こすとは?」
あなたが知る必要はない
起きる時に起き、起きた事にみな対処すれば良い
起きる事に気持ちを向けたならば対処がおろそかになる。
その覚悟を持たない者は関わるべきではない
「対処とは?」
あなたが対処するべき事は自分自身をどうこうする事ではない
人がその場に立てるよう、あなたは位置をつけ、手を貸し、肩を貸し
安心を与え、ずれない場所に人を導く事です
自分の為に自分を求める為に動くのではないのです
「もう少しわかりやすくお願いします」
大きな流れの事を起こす為に、あなたはあなた自身を無にして
起きる物事に従い、人をその人がならなくてはいけない所まで案内し
手を貸し、肩を貸し、自分の理解を超える大きなプロジェクトの一員として
手を挙げ遂行する。
あなたがすべき事はもっと透明になり
自分が頑張るという事を超える事
静かな心で湧いた事
目の前に起きた事
耳に入った事
これらがあるべき所に導く事
「今まではわざと自分で塞いで超えるという事をしてきたのですが」
これから起きてくる自分の状態はあまりにも形がなく
姿もなく、生きている感覚さえない領域に入るから
その前のご褒美(ゲーム)やり切ったというご褒美
これからはやり切ったという思いはわかない
ただただ淡々と事をこなしていく
心が静かですべてを受け入れて
深い眼差しで見つめるだけ
そしてこなしていくだけ

『痛みの中に快をみつける』って、⁉️

『痛みの中に快をみつける!』

ちょっと分かりにくいでしょうか?

怪我や病気で痛みを感じた経験は、ほとんどの方がなさっていると思います。

その痛みの中に快をみつける事が出来るのです。それが面白いのです。

長期で闘病なさっている方や、神経痛や、血液の病気などで常にどこかに痛みを持っている方などは、この感覚を自然に身につけていらっしゃると思います。

この『 痛みの中に快をみつける』と言うのは、痛みの中に入るという事で、今の痛みを感じ表現する事です。例えばチクチクとか、ズキズキとか、ズ~~ンとか    痛みの状態を観察すると、痛み方が変化してきます。

痛みがなくなる事を目的にすると、痛みを強く感じるようになります。不思議ですが、痛みを嫌がらない感覚が出てくると、痛みに快を感じ始めます。サディストぽいですが、ちょっと違います。

痛みから湧いてくる感情・感覚とダイレクトに繋がらず、感情・感覚を観察する事で、冷静になります。その上で、その痛みを楽しむのです。

 

以前青森八甲田山でのワークショップでの出来事ですが、八甲田山から下山する時右足を骨折しました。骨折は帰宅して翌日病院でわかった事ですが、その時は歩けましたし、神様から「大丈夫、助けてくれるものが来る」と言われたので、それを楽しみました。たまたま通りかかった介護士の方におんぶして頂き、次には、たまたま通りかかった自衛隊の隊長以下5名の隊員の方々におぶって頂き、下山しました。誰よりも早くついてしまい周りの人たちはびっくりしていました。重い私を背負いながら天狗のように走り続けた隊員の皆様には、背中で感謝し続けました。思い出すたび、この奇跡に感動します。

その時普通に歩けないのですが、あまり痛みを感じませんでしたが、帰ってからの手術後、車椅子、松葉杖生活の中でも、痛みはありましたが愉しかった方が強いのです。

全く愉快な体験でした。

話がそれましたが、痛みの中に快を見つければ、その体験自体が愉快になります。

 

今日の絵に参加した方のお話です。足に痛みを持っていた方にズキズキする痛みを描いて頂きました。最初は嫌々と言う感があり、赤のギザギザが痛々しく描かれていました。色を足して、もっとズキズキを描いてとアドバイスしたら、楽しみが出てきて、絵がカラフルに可愛くなってきました。その頃から痛みをそう感じないと言い始め、出来上がった頃、足はそう悪くないと言葉にしていらっしゃいました。同席していた人たちはびっくりです。でも、本当の事でした。

感覚と感情がくっつくと感覚も感情も増幅します。そこを断ち切ると、とても新鮮な体験ができます。

ぜひ、挑戦してみてください。