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対談:『凸凹姉妹が龍でひとっ跳び』ビデオ「発達障害の質を持った方の、超前向きな生き方」

3月24日に行われた記念講演会 対談『凸凹姉妹が龍でひとっ跳び』の一部で、
発達障害の質を持った方の、超前向きな生き方をご紹介します。

六龍オーナー 森下とし枝・牛田富美江
司会:今村達弥(ささえ愛よろずクリニック院長)・踏江みつ子(わっぽー代表)

体の不調その訳は

70代女性
原因不明の皮膚感覚や、腸や子宮を内側から押され引っ張られるような不快感を長く感じており、病院に行っても改善せず、お一人で悩み、知人を通してご連絡を頂きました。
言葉も聞こえるし、触られた感覚もあります。
「霊症ですよね。怖いから関わらないようにしてきていたので、誰にも自分の症状を話せないでいた。それを理解してくれるだけで嬉しい」と話されました。。
20年以上そのような状態いた方です。辛かった。体の痛みもそうだけど、誰も分かってもらない事がつらかったと。

関わって、1年になります。
遠隔地ですので、お電話セッションと、年に2回くらい上京なさった時面談セッションを行います。すっきり治っている訳ではありません。症状を抱えながら、以前より動けるようになった状態です。
こんな時何かがきっかけで、ベールが脱げる時があります。

そんなワンシーン

ご本人から辛いとお電話があった時のコンタクト
自分の心の奥にある、「なにか」を観つめなさい。
何がある?

本人
*人に利用され、比べられるという想い
*狭いところに入ると、息苦しく感じる事があります。
*昔ですが、男の人がいると、嫌な感じが強かったです。結婚してそれは解消しました。
*お腹の強い張りがあります。

コンタクト
お前は
聖女で在り 人を縛る看守でもあった
死を迎えた時 
飛びぬけて人の前に立つ事をやめようと願った
天に心を委ね 共に生きる事を願った
自分の中の愛を育てなさい
そうすれば あなたの中にある力を引き出す事が出来る
1、人を包み込める聖女
2、ダメな事はだめといえる力
この二つが発揮できると
『眞を貫ける力が加わり もっとゆったりとした
委ねる事が出来る 愛の人に変わるだろう!』

今回このコンタクトで、

ご主人に気を使い、体がつらくても黙っておさんどんをして、心を閉ざしていたけれども、苦しいと言えるようになり、少しずつ、自分の望みを表現し始めた様子です。
体の痛みは、在りますが、横になり、自分を一番に考える事が出来るようになってきたと話されます。
今までは、そんなことをしてはいけないという意識が彼女を支配していましたが、力を抜き、頑張り方を変えて、自分を大切にして、ちょっと不平不満を言って、我がままになり、そして、相手の気持ちも認めるようになれれば、もっと症状は軽くなると思っています。
霊症は実際ありますが、ご自分の奥深くに在る心が、そのような症状を創りだしていたのです。

元々はとても優しい方です。。

ここのところ、お電話で笑うことも増え、私に対しても、嬉しい心遣いをしていただける人生の先輩と繋がっているこの奇跡に感謝しております。

貴方のチャンスは相手のチャンスになる

長い間自分を観つめる作業をし、ご自分の感情はどんな事があっても穏やかにいられるようになった方のお話です。
その方は、4年の間に夫を看取り、弟さんのキーパーソンとなり看取り、その後ご両親を看取り、残された家族が穏やかに暮らせるよう、一族の家長の役割を果たしてこられました。
今回大人になった息子さんたちにどう対応すれば良いか、特に長男のさんに対してどう関わるのかのセッションを行いました。
彼の人生を想い、親として後悔のない自分の想いを伝えるためのコンタクトです。

コンタクト

今の流れでいいでしょう。
時を大切につかみなさい。
掴んだ時をチャンスと思いチャンスを自分だけのものとせず
相手のチャンスに変えるには
貴方の魂の奥にある尊厳の心を大きくし
貴方の愛の力を自分の心を越えた宇宙に拡げられる状態になれば
貴方のチャンスは相手のチャンスになる。
そしてその体験が人生の目的と言って過言ではない。
この瞬間の為に今まで学んできたと思いそこに立ちなさい。
その体験がいかされたなら貴方はすべてに感謝できるでしょう。
夫にも感謝できるでしょう。
息子の命を心から愛おしく思えるでしょう。
貴方の息子は素直でありながらねじれた心を持って生まれている
そのねじれた心に手を入れる事が出来る最大のチャンスです
貴方の命をかけその瞬間に立ちなさい。
ご本人からのメール
「尊厳、愛を宇宙に拡げるなんて神業のような課題の前に自分の小ささに愕然ですが、一晩たった今は目の前にきたことに逃げない私を息子にさらそうとだけ思っています。
尊厳、宇宙の愛についてはもっと私の中で醸してみたいです。」

 

踏江メール

「ありがとうございます。
私も気持ちが引き締まります。
宇宙の愛に向かい、愛すべき息子さんに向かい歩んでください。
応援しています!」
ご本人のメール
「立ちなさいといわれるこの瞬間とはどのくらい前からの神の計画なのかと考えると気が遠くなります。本当に宇宙に拡がるようです。」

 

個人セッション時のメッセージとその後のメールのやり取りです。(ご本人の承諾を得ております)

「凄いなぁ…神の愛 」 たかまのブログより 

わっぽー縄文式チャネラー養成講座の各クラス終了時には、講評を皆様にお送りします。
この作業は、私にとっても重要で尚且つ重責です。
補講を入れ7ヶ月間ご本人の変化を辿り想い、そして今後の流れをリーデイングしながらメッセージを書きます。
また、コンタクトは、ご本人のサポートをしているエネルギーソース(神さま)からのメッセージを受け取る為、私自身の私感は排除しなければいけません。
今回のように、お送りしてから、数か月後、または数年後ご覧になります。
その時点でも、納得して腑に落ちるようなコンタクトは、人の技では出来ないのです。
私感を取り除き、神からの言葉を降ろし書く。
今のご本人、未来のご本人、に対してのメッセージです。
自分に課したシステムですが、これによって、私自身も成長せねばならないのです。
たかまさんのブログで前回8期(2016.1~7)の書評(2016年8月制作)をご感想とメともにアップして頂きました。
どうぞ読んでみてください。

 

NEW !
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ふと見た
前回8期のアドバンスの講評が今の状態を言っていた
「事がらを観つめる心の目が深くなり厳しくなり生きる意味と責任を持つ力が増しました。
人に向かうのではなく自分に向かうと素直な想いがある事に気づきます
それが大切なのです
素直な想い、たとえそれが弱気な想いだとしても弱気が沸くのが生きてる人なのです
その想いを受け入れ他の人にも弱さを見せる強さを持った時もっと大きくなるでしょう
忍耐力を持って人を認め責任感を持った寛容な人に」
「怒った心は生きる力となり、悲しみは慈しみの力となり、微かな絶望は希望となり、心で広がり、体を覆い、場にも広がる」
その場を作りたい
だから選んでいる
それを学ぶ為に出来事が起きている
「彩豊かなステージが貴方の生きる場所
いつでも沢山の彩を囲まれ
一つ一つを愛で慈しみ、育てるのが貴方の生きる場所」
神がやらせたい事
私がやりたい事
それに向かってちゃんと進んでいた
うん
大丈夫
ホントにそう思えた
今からまた頑張っていきます
皆様これからもよろしくお願いします
たかまさんありがとうございました。
つき進んでいきましょう。
9期も終わり10期に入りました。
9期の講評いったん出しましたが、私の車輪がしっくりはまっていないと気づき、もう一度コンタクトを取り直す事にしました。
新潟アドバンスの皆様もう少しお待ちください。
桜が咲くまでにはお手元に届けますので!

生きる気力がなかった母が・・・

1月肋骨の骨折の見舞いに帰郷した時、89歳の母の本音を始めて聞いた。
(その時の様子はこちらから)
人の為に生きてきた母に、自分の為の選択をしてねと願いを伝えて帰宅した。
自分の為なのかは分からないが、退院の朝、脳梗塞になった。
幸い意識は戻ったが、生きる気力が無くなり、麻痺の影響で舌の感覚も戻っておらず、食事を嫌がるようになり、暗い顔をしていると連絡が入り、2月半ばに見舞いに行った。

5時間ご飯を食べる手伝いしたり、体をさすりながら、声をかけていても表情は暗い。体がだるいだろうし、生きることに希望が持てないのだと思う。

精一杯生きてきた母には笑って満足して最期を迎えてもらいたいと、願っているが…

心を残しながら病院を後にした。

その夜泊まるのは母のすぐ下の妹、働き者の伯母の家だった。

伯母と終戦の前年の話になった。伯母の目から見たらどんなだったのか。以前母から聞いた話、母が18歳の時、まず自分が熱病にかかり、九死に一生を得た。お花畑をみて、向こう側に知らない女の人がまだ来ちゃダメと言っていた。と

その数ヶ月後、広島の病院で従軍看護をしていた兄が感染症で亡くなる。その直後満州からやっと疎開してきた叔父が亡くなる。昭和20年終戦前

8月の終戦後父がジフテリアにかかり、入院する。ちょうど稲刈りの時期と重なり母親が必死で稲刈りを済ます。直後、突然亡くなる。50歳前後と言う。

母親の49日の法事の前、4歳の幼い弟が、ジフテリアにかかり入院する。その付き添いは、やっと歩けるようになっ18歳の母だったらしい。どれだけ辛かっただろうか。

伯母の話はまだ続く。

終戦後の混乱時で食べ物がない時、母親が収穫した稲を伯母とその妹と父親とで脱穀し、うるち米の餅を作り、法要で集まる人に振る舞うために用意した。お坊さんのお経が終わり、お白湯とお餅を配ろうと重箱を開けたら、空っぽだった。盗まれた!終戦後の大混乱で物がないからか。兄を亡くし、母を亡くし、必死の想いで作ったお餅を盗まれた悔しさと、愛されたいのに頼りにされるばかりと言う思いからの恨みを、伯母の言葉から感じた。

母は死に対しての恐怖、伯母はわずかに残っている恨み、二人で乗り越えて来た想いがつながれば、両方溶けるような気がした。

伯母にこの話を母としてくれないかと話す。

伯母も、姉にお礼を言いたいと

翌日、母にもう一度会いに行った。

 

暗い顔し昼食を食べようとしない母

伯母が「昭和20年、お母さんが死んだ年辛かったね。大変だったね!弟やんちゃで、看病大変だったね。たくさん助けてくれてありがとう。」

この言葉を聞いた母の表情が変わった!

 

帰る時

「死にゃあせんけんな」(死なないから)

と言った。

驚き、母の顔撫でて、大好き!

また帰るからと言った。

 

生きようとした母

そう言いながら小さな弟を看病していただろう!

死があまりにも近いから、そう言いながら生きてきたのだろう!

 

『生きようとして、生きるように死ぬ』

 

母は今も生き様を見せてくれる。

この母から人生をたくさん学び、愛することを教わっている。

感謝しきれない。愛が溢れ、溢れ、周りに広がる。

生きるべし     そう聞こえる。