8/31、9/1 ある学会 に参加しました。これから紹介する内容は学会内容とは掛け離れているので、学会にご迷惑をおかけしないよう、団体名は伏せさせていただきます。
今回、東京で開催されたので、関東の知り合いに声をかけ、数人参加していただきました。私の知り合いというと、ほとんどチャネラー仲間たちです。
チャネラーTOMさんも参加で、講演会中に沢山のコンタクトメッセージが自動書記で来ましたので、ご紹介します。
会場は大きな寺院だった事は、メッセージの色合いに影響したと思います。
第1弾 8/31のメッセージ
☆
悲しみはたくさん 多く持つほど 愛が大きく深く育つ
その愛は ただ大きく 安心感があり 信じられ
ただ 愛するだけで 見返りは求めない
その愛は 親族家族だけに向かうのではなく
全てに対して 全ての悲しみを ただ受け入れて
比較もなく区別もなく
ただ ここに生きる命に対して ただ 愛せる
だからこそ 悲しみを体験する事は
大きな愛を感じ受け取る事の出来る 大切な体験である
☆
母さん母さん開けてよ開けてよ
早くしないと閉まっちゃうよ
*開けるのは母さんじゃないよ
それでは だれ!
*だれでもないよ
*自分が開けたい所を開けないと
*だれかに開けてもらうと 自分とはちがう
*どんなに開けにくくても 自分で探して自分で開けなければ
*そこは いつもあるよ
*自分で 閉めなければ 勝手には閉まらないよ
*あせらなくていいよ
*自分で 開けよう
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今の時 人は突然の死に対して 理不尽として
受け入れがたい思いがあるが
命に対して理不尽という事はない
命は たえず尊厳に守られており
命はどのような形で終わろうが
人はどのようにも生きかたがあり
その生きかた自体が そこに命を与えられ 意味があるだろう
突然に失われた命に対して
悲しみから残された者たちが 他にうらみを持ったならば
失った命の重さが軽んじられてしまう
ここまで生きた意味を 残された者たちが 深く受け 取れたら
命をなくした者は その生きた意味が生きるだろう
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死は生きる為の最後の救い
死の格差は 心の格差
死がそこにあるから 人は愛を知る
死があるから 今も先も過去も愛おしく
そこにあるものに 愛する感情が芽生える
自分以外に目が向けられるのは
今は今だけ 全ては 失われる
物でここにある姿は 一瞬であると知っているから 愛着ができる
死は 恐怖であるが 恐怖ではない
死は生きてきて 最後に癒される 安住の場である
![](http://mitsuko-fumie.com/wp-content/uploads/2019/09/4464F70C-60DF-4C87-95F9-F2B20BB3CBDB-e1567414269276-300x162.jpeg)