引きこもることと、自分との対話だけの生活の違いはほんの少しだと思う。

引きこもることと、自分との対話だけの生活の違いはほんの少しだと思う。
自分との対話をしてると、部屋から一歩も出ない事がある。

せめて、夕方体ならしに1時間の散歩、これも自分との対話!味わい深い時間が続く。

ただ、自分が生きていいくために必要なコミュニケーションの方法も、生きていくための生活の糧を得る智慧も付いている。
若いころに培ったもの。
「働かざるもの食うべからず!」

手伝いをしないと夕食のとき叱られた。
学校が休みの日、農作業の手伝いは当たり前の事だった。

どんなに疲れていても、労働をすることが生きる事と教わった。

これが、基本となっている。働ける力は、自分に希望と自由を与えてくれた。

動物としての基本だと想う。
本能の中に組み込まれているように思う。

鳥は飛ぶことを親から教わり狩りの方法を教わる。

 

その力は生きるためであるけれども、その力は自分に自由を与えてくれる。

 

人も動物。

 

鳥にとっての飛ぶ方法と餌をとる方法を、今生きているときに、だれかから教わり練習しよう。

手助けを嫌がらないで、受けて、何かの力をつけよう。

そして、自由を手に入れられたら、どんなにか素敵だろう。

 

それが生きることだと想う。

 

フェースブックでのコメントのやり取りを掲載します。

  • 家に居続ける…という事では同じでしょうが…
    外に出ないことを本意で選ぶ者と、不本意で選ぶ者とでは、同じ事と言えないような…(ー_ー;)
    まぁ、どちらにせよ、引きこもりを楽しめているのならOKなんでしょうが…f(^_^;
  • 踏江 みつ子  コメントありがとうございます。自分との対話と言うことで似ているのです。感覚が敏感になっているのに、時間が動かない。気づけば眠っている。脳 がおかしいかなと思うくらい別な空間にいるのです。自分しかいない。それが、良いとか悪いとかではなく。自分を批判するのではなく自分を見つめています。 内観する世界とは違います。チャネリングの世界とも違います。自分との対話と言う言葉でくくっていますが、私の中でもその空間はいくつかありました。意識 を移動させる時、チャンネルを変える作業をしているのが今回はっきりと実感しました。これ楽しいという感覚もありません。感情があまりないのです。・・・ 今日ちょっとシフトが変わったのでしょう、お伝えしているのですから。。。この空間に居続けた時、引きこもりと言う状態になるのかもしれません。最初はこ こにいる自由を選んで。  ・・・・シフトを変える方法はある。感覚がそれを教えてくれたように思います。書いたように働かざるもの食うべからずのような ものも、もっとシンプルなもの、自分にとっての変換のキーワードがある。書いていて、そう思えました。