北九州・宗像大社セミナー 6/29〜7/1 ④

鳥居を着ぐる前に、昨晩たくさんのメッセージを頂いた神様から一人一人に御言葉が伝えられた。

Mさん
あなたはエレガントに
美しくあるという事を探求するのです
気品を形だけではない奥深さで表す
冷たさ、豊かなまったりとした「間」を持ちながら
物事に接していく
これこそが気品の元です
「間」を持たない在り方は下品
「間」を持ち、心をそこに寄せ、しなやかに行動すると良いでしょう

Aさん
今、大きく成長したい時、親を踏みつけなさい
親の歩んだ人生を土台にすると思うと良いでしょう
親の人生をいろいろと語ってもらい
自分がこの親の元に生まれた事を心の奥からしっくりと味わうと
あなた自身の存在がもっと立ち現れてきます
親を踏み付け、踏みつけている分、大きくなろうと意識する事です
親の沢山の犠牲の元、あなたは成長しています
それを知らず、踏みつけている事も気づかず、親を虐げるものが多い
現にあなたの友達の中にもそのようなものがいるでしょう
あなた自身が親を踏みつけて成長し、踏み越えていくという事をしていけば
若者たちは大人になるという事がどういう事かを知っていく                                あなた自身も知っていく。行うと良い

TOMさん

あなたの太っ腹な無邪気なものの捉え方

物の挑み方とても面白い

エレガント

ダンディな潔さを持つとそれが形としてエレガントに見えてきます

Kさん
ぶりっ子を辞めた方が良い
幼い心の表現が貴方のせっかくの熟した物を表す邪魔になります
熟している自分を表わそうと思うと
熟した中にぎゅーと潜む心を持ちながら
味わいのある人を表せます
ぶりっ子している部分とは?
わからないという言葉を安易に使います
ウブっぽく見せるという事ですか?
そうです、わかったフリはよろしくないですがわかっている私を徐々に作り上げて行くのです。
形から入っていく
そうすると熟している自分が立ち現れてきます

 

Aさん
伝えるという事を、今、始めてきた                                                                              色々な事がすぐに現れるわけではないので
ちょっと前の世界を忘れてしまう。記憶ではなく  本来の自分
沢山の自分の事を語るようにした方が良いでしょう
人に沢山語る
しかし核心の所を沢山語る事
外側の事を沢山語ると相手は疲れます
極力自分の奥にあるものをズバンと言う
貴方自身が成長していると自覚しやすくなります

Mさん
老いると言う美学を少し追求すると良いでしょう
老いていく所に美学を持つと
味わいの深い翁、嫗になっていきます
その美学を探求すると美しさは若い美しさではない人の年齢を経た時の美しさが立ち現れてきます

案内をここで終わります
あなた方の今後の検討を願っております
創造力 起きている現象は何かがあって起きている
今この風もそう。波も広がりもそう。
一つ一つの動きに何かが関わってそれが起きている
それに思いをはせ、起きている事柄を受け止め
味わい深い人生にして行くと良い

 

 

Miyokoコンタクト

 

古墳
大神の君
慈しみ、智慧を働かせ、梶を切り取りながら
多くの事業に力を注ぎ、国の安定と民の生活を思い、働かせし
巫女
ともに学びし、多くの勇者達と共に渡り、古来の力果てしない地を求めてきたのであった
戦いの中ではなく、民に平安と盛況をもたらす為だけに来たのに
多くの犠牲が出てしまった事は誠に誠に申し訳なく
神に対しても冒瀆とも言えるような行いがあった事は認めねばならない事実であった
我々に人々の虚栄をもたらす事のみが純粋であった事を確かめるために
まだこの地に降り立っています
ただ助けを求める為だけにここにきたのではなく
あなた方のような、私達を認めてもらえるような方々をお待ち申し上げておりました
ただ過ぎ去った戦乱の世と捉えるのだけでなく
我々、私達にとって豊かな未来、希望、豊か地への行いであった事をどうかお認め下さい
私達はまだこの地にとどまっておりますが、多くの耳を傾けて下さる方々がまだまだ足りないように思います
私達の身をもって体験した事をどうか後世に残して頂きますようお願い奉ります

愛おしいという思いはあなた

どこにいても、神の愛を感じた旅になりました。

宗像から各自自分の生きている場に帰ると、物事は加速して自分自身を巻き込みますが、心は穏やかであり、智慧を神の愛と闇の力(霊気を伴う冷静さという感じ)からもらい、理解力も強かさも行動力も決断力もましたように思います。人生の支えとなる旅となりました。

自然現象が激しくなるとメッセージで受けていましたが、目の当たりにして、自分ができる事、したい事を直ぐに始めて、どの様な状況になろうとも、創造主の愛を自分の中にも、人の中にも、状況の中にも、見いだして愛を感じて生き切りたいと思っています。

ありがとうございました。

わっぽー野外セミナー『宗像大社』に行きます!

2018.6.29-7.1 北九州セミナー 
門司(和布刈神社)・壇ノ浦・火の山公園・宗像大社・海の道むなかた館・大島・新原・抜山古墳群・宮地嶽神社
参加者 7名

長年の念願だった、宗像大社に詣でる事になった今回のセミナーは、激動の2018年6月末から7月始めにかけて行くにふさわしい場所だと思います。
TOMさんの個人セッションでどうしても九州に行く気がするという私の想いから始まり、山口と門司のあたりでTOMさんの手が止まり、門司、山口、そして宗像大佐に行こうという事になりました。

チャネリングをし続けますので、全員で神と共にいける所までいきましょう!

29日

空港―門司 和布刈神社 ―関門海峡― 壇ノ浦・火の山公園

(時間を見て)―海の道むなかた館(ガイダンス施設)―宗像大社奉献館

30日

終日 宗像大社・大島(フェリーに乗り島に入ります。時間はい分を調整)

7月1日

神の指示に従います。

新原・抜山古墳群―宮地嶽神社

門司  和布刈神社(めかりじんじゃ)は、福岡県北九州市の神社。別名「速門社」(はやとのみや)、「早鞆明神」。旧社格は県社。

社伝で伝えられる限りでは神功皇后の三韓征伐後奉祀されたもので仲哀天皇9年(200年)創建とされる。古くは「隼人明神」とも呼ばれた。

壇ノ浦の戦いの前夜には平家一門が酒宴を開いたと伝えられる。

海峡の守護神として崇敬を集め、建武3年(1336年)足利尊氏、応永年間(1394年~1428年)大内義弘、天正3年(1575年)仁保常陸介などによる諸社殿の修築造営が伝えられている。現社殿は明和4年(1767年)小倉藩主小笠原忠聡の再建によるものである。

神社名となっている「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意であり、毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和布刈神事」(めかりしんじ)が行われる。和銅3年(710年)には神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述が残っている。福岡県の無形文化財に指定されている。

福岡県北九州市門司区門司3492

関門海峡を渡り、山口県に入り、壇ノ浦・火の山公園に立ちます。

海の道 むなかた館(ガイダンス施設)・
宗像大社神宝館(沖ノ島で発見され、全て国宝に指定された奉献品展示)

宗像大社辺津宮(三宮の社) 本殿・高宮祭場・第二宮・第三宮

自然豊かな「宗像(むなかた)」からご紹介。宗像大社は、全国に約7,000社ある宗像神社、厳島神社の総本社で、また全国の弁天様の総本宮であるという、由緒正しき神社です。  福岡県宗像市田島2331

フェリーに乗り大島へ

宗像大社中津宮・宗像大社沖津宮遙拝所

大社の一部であり、「海の正倉院」として知られる沖ノ島を含め、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、世界遺産暫定リストに掲載されている、歴史的・文化的な価値が非常に高いパワースポットです。

新原・抜山古墳群

59基の古墳群の中で一番古いと思われているのが22号古墳の前方後円墳です。全長80mあり、大きさも一番大きい古墳で、埴輪が出土しているそうです。
22号古墳は前方後円墳でしたが今は後円の部分だけが残っており、西側に縫殿宮(ぬいどのぐう)の鳥居があります。かっては縫殿宮(ぬいどのぐう)の社殿が頂上に建っていたそうです。 今は頂上に縫殿宮(ぬいどのぐう)の小さな祠があるだけです。大正六年の鳥居が建っていますからその頃には社殿があったものと思われます。
近くの奴山(ぬやま)地区には日本最初の裁縫(さいほう)の神様と云われている縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)という神社がありますが、 縫殿(ぬいどの)の名前も同じです。この2つの縫殿神社と縫殿宮は直接の関係はなく、奴山地区では縫殿神社を建て、新原地区では22号古墳の上に縫殿宮(ぬいどのぐう)を建てて、別々に呉から来たという4人の姫を祀ったのではないかと言われています。
最初は縫殿宮(ぬいどのぐう)は縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)の元宮だったのか、それとも御旅所だったのかと勝手に想像しましたが、そうでもないようです。

この新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は5世紀前半から6世紀にかけて造られており、古代の宗像地方の豪族の胸形の君(むなかたのきみ)一族の墓と考えられています。
胸形の君(むなかたのきみ)は今の宗像大社の大宮司家で古代にはこの宗像地方を治めていた海人族(あまぞく)です。

宮地嶽神社
宮地嶽神社の創建は社伝では約1600年前にさかのぼるとされ、息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。現在の境内は祭壇を設けたとされる宮地岳の山腹に位置する。また、宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。

 

帰って来たら、ご報告します!!