奥出雲への帰郷 その②

まだ炬燵が出ていたので、炬燵にあたりながらこの景色を眺め、両親とお茶を飲み、緑が深くなった庭や山々の話をします。庭のトガノキの剪定の事。畑に植えたカボチャの苗。庭の草取りの苦労話。
小言は言うけれども、穏やかになった父と、ちょっと意地悪になった母。

両親の在り方は、夫婦の概念を変えてくれました。
どんなにいがみ合っていても、時間や他から与えられる苦が、二人の絆を強くしてくれると。

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穏やかで夢のような時間を過ごしていました。

 

 

 

 

しかしです・・・・・

 

家の裏に行ってみると、あ~~~らびっくり!

道が消えそう。。。

 

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こんなになってしまった。このままでは確実に山と繋がって、家は朽ちてしまう!大げさですが・・・
兄が具合が悪く両親とも高齢化し、庭の手入れだけで精いっぱいだからしょうがない。

で、奮起して鍬を担いでいざ出陣。

これだけ伸びてくると、根っこまで掘らないと、これからもっと恐ろしいことになる。

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なたかまも使いガシガシと始めました。

なたかまは山で使う鎌なので、歯が厚く重い。その分勢いもあるので、斜面の草はどんどん刈る事が出来た。面白すぎて、腰が悲鳴を上げ右手が筋肉痛を起こして、作業終了。1回1時間半から2時間が限界。
考えてみると、セッションと同じ時間。頭も体も集中力が続くのはその位なのでしょう。

炬燵に集ってお茶を飲み、誉めてもらって、また作業開始。

3日に分け合計5時間くらいでタイムアウトとなりました。悔しい。もう一日あれば道は開通できたのですが。
段々効率が上がったけれども、最初がもたついたことが悔やまれる。。。

2014052514570000隣との境界までの半分しかできなかったけれど、風が渡り、気の流れがよくなりました。

昔話です。
この道は元々は馬と人が歩くだけの広さだったと祖父から聞いていました。右の一段上がった今は畑になっている敷地に昔殿医が住んでおり、この道は、お城へ続く大事な道だわなと、幼いころによく聞いていました。幼心に誇らしく思っていたことが今は微笑ましいです。
祖父の話は見たかのように話すので、時代がわからくなり本当かどうかも怪しいと想いながら、「あの山の上に殿様がいて、その殿様が鉄を広めただわ」の言葉に気持ちが引き込まれていきました。
我が家の屋号が鍛冶屋でしたので、鉄と聞くと気持ちが踊り始めるのです。今でも畑を掘り返すと大量のたたら屑がでてくる事も、どこか宝物が隠されているような気持ちになります。

 

この後お墓参りをし、ついでに墓までの道もかまで広げられました。お墓にもう参る事が出来なくなった母の願いを叶えることができました。母は、気にかかっていたから気持ちが楽になったと何度も言います。家の中でも杖が手放せなくなった自分の事を時々嘆きながら、・・・

生き続ける事はたくさんを諦め、そして到達する翁とへの旅なのでしょう。

Wikipedia解説より:男の老人を「翁」、女の老人を「嫗」と呼ぶ。中世において子供は「童」と呼ばれてまだ一人前の大人)ではないのに対し、翁(嫗)は既に人でなくなった存在とされていた。老人になると、翁(嫗)となり身体の衰えに応じて働くのである。

 

 

今回ほど楽しめた草取りはありませんでした。鎌も研いで切れ味の良い状態にできたので心地良かったのでしょう。鎌研ぎも祖父から伝授されたことでした。

色々な話も生活の智慧も、時間をかけ理解できるように何度も伝授され、実践を積むことで受け取った智慧は活かされ磨かれていくのでしょう。
何度も鎌を研ぎながら、自分もちょっとは磨けたかな。