今年、5月ピュアな彼女に出会った時、彼女の持っている霊的な感覚を含め、こだわりも枠も持たない人だと感じました。
だからこそ、同世代の人との関わり方が分からず、自分の扱い方が分からなく、普通の女の子の感覚が持てず、傷つくことが多っかたのだろうと理解できました。
彼女はふわっと笑顔でいます。
居づらくなると、段々気配を消すように自分を小さく固めていきます。
本文より
「いろんな本を読んだり、母に話を聞いてもらって 自分を苦しめていた固定概念を無くしていきました。
あるとき、そのままの自分を受け入れられるようになったのですが
実際できてみると、不思議なほど当たり前のように受け入れていました」
以前から短期のアルバイトはしていましたが、今、彼女は農業バイトを始め、ちょっとづつ自立を目指している最中です。
また、彼女の絵を作品として、世に出せるよう、わっぽーとしてもサポートしているところです。
ご本人のHeart Window Artと共に、彼女の人生を感じていただき、もし、お近くに引きこもっていらっしゃる方やそのご家族が孤立していらっしゃるのならば、読んで頂き、少しでもお役になてるならばYukaさんも私たちも幸せです。
わっぽー 代表 踏江みつ子
* * * * * *
私の一番幼い時の記憶は、年少のときの記憶です
保育園の先生が驚かせようとして被り物をして部屋に入ってきました
ほとんどの子が怖がって、別の先生にしがみついて泣いていたのですが
私は、みんなの様子を観察していました
でも、みんなが泣いている事に驚いて、少し不安になって
私も先生の傍にいって隠れました
保育園では、よく先生のお手伝いをしていました
人に言われてではなく自分からそうして、
感謝されたり褒められたりすることを嬉しく思っていました
子供より大人に興味があり
親同士の会話に、よく聞き耳をたてていました
話し方も内容も子供相手とは違うから面白かったのだと思います
天真爛漫で喜怒哀楽が激しく、泣いていたと思ったら笑い始めたりして
感情がコロコロ変わっていました
わがままをあまり言わず、ある程度は自分で出来るので、手がかからなかったそうです
成長するにつれ人からは、おっとりしたタイプだと言われましたが
母は、私を勝気で芯が強い子供だと感じていたそうです
流行のキャラクターにあまり興味も知識もなく、
周りに合わせることもできず楽しめなかったのを覚えています
保育園に隣接している公園の砂山でおままごとをしたり
遊具で遊んだりすることが好きでした
同級生以外にも、ひとつ上の子と遊んだり、社交的だったそうです
自分で遊びを考えたり、一人で遊ぶことも好きでした
小さい頃、親が共働きで保育園に迎えに来るのが母親ではなく
祖母だったのが、寂しかった記憶があります
祖母が嫌という訳ではなく、母との時間がもっと欲しいと思っていました
祖父母には甘えられず、我慢しているところもありました
祖父には、冬に裸足のまま外に出されて
玄関のカギを閉められたことがありました
大泣きしながら「家に入れて」と言いましたが、
近所の方に聞こえると恥ずかしいと思って声を小さくしました
家に入ってから、帰ってきたら母に伝えるために手紙を書きましたが
祖父に読まれてしまい、自分で破って捨てたので母に伝えられませんでした
その時は優しくて大好きだった祖父に、ものすごい恐怖を感じましたし
これから普通に生活できるのかと、不安も感じました
誰にも言えなかったからか、ずっと忘れていましたが
3~4年前に思い出して母に伝えました
小学1年生くらいのときに妹ができて、嬉しくて嬉しくて母に抱きついたのを覚えています
赤ちゃんの人形のお世話をして練習をしていました
生まれてからもすごく可愛がって、楽しかったです
小学生のときは、朝が弱くて毎朝ギリギリに登校していました
1年生のときは、同級生以外に6年生3~4人と一緒に遊んだりしていました
2年生のときに、帰ってきても祖父母しかいないので
よく母の会社や携帯に電話をしました
冷めているところもあって、欲しいおもちゃがあっても
流行り廃れのあるものに、お金を使うのはもったいないと思っていました
2~3年生の頃、学校に行きたくないと言いだして
母に学校まで送ってもらったりしました
学校で何があったわけではなく、自分でも何が嫌だったのか分からなかったです
あとは、宿題などのやらなくてはいけないものが、
自分の中で絶対で、精神的負担だったと思います
泣きながら、やりたくないけどやらなきゃいけないと言って宿題をしていたことがあります
3年生頃からイライラしている事が増え、
この頃から小学校高学年くらいまで、結構短気だったと思います
自分でも分からない不安や不満で不安定でした
実際、親に「何か分からないけどイライラする」と言って伝えていました
高学年の頃からだったと思うのですが、“今”を生きたいと思っていて
過去なんてどうでもいい、今とこれからが大事だと思っていました
6年生のときに祖父が亡くなりました
一緒に住んでいる人が亡くなるのは、祖父が初めてだったので
突然でしたし、怖くて悲しくて泣きました
小学校は人数が少なかったのですが、
中学生になって急に増えて
部活では上下関係もあり、居心地が悪かったです
周りとの感覚の違いを日々感じていたと思います
3年間本当にたくさん泣きました
中学1年生のときに、急に自分だけ他の人より重力が異常にかかっているような感覚で
だるくて苦しくて、起き上がれなくなり
医者に行ったところ、自律神経失調症と言われました
医者に深呼吸をしてみてと言われても出来なかったです
不安や恐怖などの感情が強かったので、体の動きが硬くなっていました
薬を飲んでもなかなか良くならず、
1か月くらい移動するときは母親に支えてもらっていました
体が回復した頃には精神的に病んでしまい
学校が怖くて、ほとんど学校に行がずに家に閉じこもっていました
人が怖くて、すごく怯えていたと思います
部活もプレッシャーでしかなくなったので辞めました
2年生になりクラスも変わったので1年間通えましたが
小学校から一緒の友人以外の関わり方が分かりませんでした
周りから見たら普通に会話をしていたのでしょうが、
心の中では恐れや迷いがありました
勉強に必死になって、テストの点数にこだわっていて
頑張った分、結果も出るので楽しんでいたところもあるのですが
頑張っても頑張っても自分で自分を認めることができず、ずっと苦しかったです
相変わらず、精神的に病んでいるところがあり
様々な事の積み重ねによるストレスがあり、死にたいと思っていました
母にハッキリとではありませんが伝えた事があります
母は、それまで以上に話を聞いてくれたり、支えてくれるようになりました
この頃は、ネット中毒の様になって、パソコンばかりしていました
3年生で、またクラスが替わり馴染めず
もともと一人でいる事が好きなこともあり、一人でいる事が増えたのですが
悪口を言われ、本当に居場所がありませんでした
いつも呼吸が苦しかったのを覚えています
友達と普通に話せる余裕すらありませんでした
図書館とトイレによく居ましたが、そこでも落ち着く訳ではありませんでした
それでも高校を決めていたので、卒業まで通うつもりでいましたが
学年が変わって3か月くらい経ったとき、急に限界がきて保健室に駆け込み
何も話せずに涙が出てきて、ずっと止まりませんでした
その日から、一度も学校に行きませんでした
学校に行かなくなってからは、少しずつ元気になっていきました
卒業式は行きたくなかったのですが最後という事で我慢して
校長室で個人でやってもらいました
行く前は怖かったのですが、卒業証書をもらったときに
やっと終わったと思って涙が出ました
行かなかったら後悔していたと思うので、行ってよかったです
中学校の3年間は、特に苦しかった時期です
何が楽しかったのか覚えていません
違和感だらけで、牢獄のように感じていました
高校は、私立のキリスト教の学校に寮生として入学しました
兄も同じ学校に入学していたので、中学2年生のときからこの学校を知っていました
学校見学をしたときに敷地内にある教会を見たことで、その学校が気に入りました
授業の中に聖書の時間があるところも好きでした
中学に行かなかった事で、明るさが戻って前向きだったからか
迷わず、自分で寮に入ることを選択しましたが
今思うと導かれていたのかなと思います
毎朝教会で礼拝がありました
讃美歌を歌ったり、お祈りをする時間は、一日の中で一番心休まる時間でした
寮に入ったことで、友達もたくさんできて楽しかったのですが
一人の時間がないことや、決まりが厳しかった為か
段々、精神的に不安定になりミスが増えたりコミュニケーションがうまくできなくなり
寮にいられる状態ではなかったので家に戻りました
だんだん学校に行く回数も減ってきて、2年生のときに中退することになりました
自分が入りたいと思った高校だったので、中退という決断をするまでは
ものすごい葛藤がありましたが、辞めてみたらどんどん楽になっていきました
年齢的にどこかに入学しなければいけないという固定観念があり
美大と悩みましたが、パティシエの勉強を始める為、専門学校に入学しました
専門学校とは言っても、高校とあまり変化がなく
集団行動、ルールや時間に縛られることに苦しさを感じました
自分のペースや心の中が乱れると、クラスメイトとどう接したらいいか分からなくなってしまい、尚更自分を追い込む形になって通えなくなりました
この補習を受けないと単位が足りなくなるというときに
私の気持ちとしては、行きたくありませんでしたが
頭の中で、母に車で学校の前まで送ってもらい、
その車の中で大泣きしているイメージがあったので
そこまではやらないと後々後悔するんだろうと思い、イメージと全く同じ事になりました
入学する前に、頭のどこかで卒業しない事を知っていたので
中退となったときに混乱したりすることはありませんでした
むしろ、これから始まるぞという清々しい気持ちがあった気がします
思い返してみると、いつもパターンがありました
自信がないので、ネガティブになって自分を責めて自分の殻に閉じこもる
その結果、周りに影響を及ぼして悪循環に陥るというものです
落ち込むたびに、家に引きこもっていました
そうなる度に心の中では、なんでこんなところで苦しんでいるんだ
早く前に進みたい、どうしたら抜け出せるんだと思っていました
人が怖いという気持ちや人の目を気にしすぎるところも度合いは違っても
専門学校中退まで、ずっとありました
いろんな本を読んだり、母に話を聞いてもらって
自分自身を苦しめていた固定観念などを無くしていきました
あるとき、そのままの自分を受け入れられるようになったのですが
実際できてみると、不思議なほど当たり前のように受け入れていました
引きこもっていた時間は、何もしていないようで
ものすごく意味のある時間だったと思います
中退した時に霊感がある方が実際体験したことを書いた本を読みました
そこで、改めて神仏や霊的なものに対しての興味が増しました
お遍路さんのツアーに申し込んで、
今年の3月末に行ってきましたが
その1か月くらい前から、パタリと無駄な悩みを持たなくなり生きるのが楽になりました
今思うと、19歳になったときが変わり目だったと思います
お遍路さんの旅で、いろんな人を観察して勉強になりました
改めて自分で意識していれば、どんな事にも気づきがあり
成長できるチャンスがあるんだと思いました
一緒に回った先達さんの方に数珠で体を擦って頂く機会があったのですが
気持ちや体が楽になって、清められたような不思議な感じでした
本当にたくさん感謝をした旅でした
昔からですが、霊感のある人やスピリチュアルな事に関わりたい
そういう人と交流したいという気持ちがあり、お遍路さんから帰ってきて
いろいろ本を読んだり、調べたりする中で踏江先生のHPに辿り着き今に至ります
専門学校中退までの学生時代は、苦しかった思い出が多いですが
やっと解放されて、今は自分のやりたいことができている感じがします
チャネリングは、今でもなんとなくという感覚ですが
小さい時から同じような感覚はあるので、昔からチャネリングしていたんだと
踏江先生に会ってから気づきました
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Heart Window Art教室は千葉・新潟・長岡で行っております。
ご参加お待ちしております。参加料1500円
8月25日 Heart Window Art松戸市常盤平教室 熊野神社となり金ケ作自治会館2F 15:00~17:00
松戸市金ケ作362番地
8月27日 Heart Window Art市川教室市川市市民談話室 4F 第4集会室 15:00~17:00
千葉県市川市八幡2-4-8
9月5日 Heart Window Art長岡教室(わかさ院) 13:00~15:00
9月6日 Heart Window Art新津教室(新津コニュニケーションセンター) 15:00~17:00 18:00~20:00
9月8日 Heart Window Art長岡教室(まちキャン) 13:00~15:00
フェニックス調剤薬局(代表取締役 長井知子)の協賛を得ております。
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